が眞黒になつた。山肌は白と黄とエメラルドグリンの苔で、何だか菓子でつくつた山へ登るやうであつた。山裾には硫黄の工場があつた。明治十九年頃、安田一家がこゝに硫黄採取事業を經營して、標茶《しべちや》の驛まで運搬したものだと云ふことだ。
 川湯温泉は、弟子屈《でしかが》温泉より一つ向ふの驛で、網走へむかつた方である。部落中にふくいくとしたいそつゝじ[#「いそつゝじ」に白丸傍点]の花が咲いて、淺い枯れたやうな河床から湯が吹きこぼれてゐた。弟子屈への車中で、この川湯の驛長さんに遇つたのを思ひだしたが、あいにく雨が降り始めた。こゝには土産物を賣る店と自動車屋が二三軒ある。
 黄いろいジヤケツを着た若い運轉手は「これは大雨になりさうですぜ」と、急いでハンドルをきり川湯から弟子屈への暗い森の中の沿道を、四十哩の速度を出して走らせた。
 昨日よりもひどい雷で、雷光が走るとすぐ頭の上にすさまじい雷鳴がした。烏が幾十羽となく吃驚したやうに森の中へ逃げこんでゐる。雨に滴を拂らつて逃げまどふ烏の姿を私は何時までもふりかへつて見た。
「人の子にとつては、生れないこと、烈しい日の光を見ないことが、萬事にまさつてよいことである。しかしもし生れゝば、出來るだけ早くハイデースの門を過ぎ、厚い大地の衣の下に横はるに若くはない」
 どう云ふ聯想か、私は北の果の森林の中で、しかも耳の破れるやうな雷鳴の中に、ブチアーの中のデスペラアトな一章を思ひ出した。だが、ついに元氣だ。私は常に雜談をして自分を考へない。旅空で瞑想をしてみたところで、所詮は底ぬけに小心者で、粕ばかりで何もない空虚な躯をもてあましてゐるにしかすぎない。
 宿へ落ちつくと、婦人記者氏は人生について話しかけて來たけれど、私は此女性よりも本當はおとつてゐる。お菓子を頬ばつてゐるか眠るか雜談をしてゐるか。
 温泉は一番愉しい。私は黄昏までに三度も躯を洗つた。
 音樂が聽きたかつたが何もなかつた。
 この宿へつひに二泊。

 早朝四時半に起きて、釧路へ歸る仕度だ。
 窓をあけると、もう蜩がなきたてゝゐる。
 五時半の汽車で釧路へ向ふ。三等切符を二枚買つた。切符を切つてくれた驛長さんは、此二人の女連れに、
「もうお歸りですか」と云つた。
 釧路へは八時頃着いた。驛に荷物をあづけて、驛の前の飮食店に這入る。私の横には陸軍の將校が一人辨當をたべてゐた。私も辨
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