んだ。
夜はまた雨だ。
その雨の中を奧原氏が、町でも歩いてみませんかとたづねて來られた。
「あなたをお迎へに出て歸つてみたら、留守に、小樽へ轉任の通知が來てゐて愕きました」
「まあ、それはよかつたですね。では町にでも出てお祝ひでもしませう」
長雨になりさうな、しとしとした雨の町を歩いて、轉任でコオフンしてゐられるらしい奧原氏の爲に、さゝやかな料理店を探したが、結局二人とも雨で困じ果てゝ、喫茶店へアイスクリームを飮みにはいる。こゝでは北大の校歌のレコードをかけてゐたが、それは何かいゝ氣持だつた。
根室線へ這入つてから、滿足に天氣の日がない。明日は早朝|然別湖《しかりべつこ》へ行かなければならないのだが、雨では途が絶えると云ふことであつた。
奧原氏に別れて、宿へ歸つたのが九時前。雨だつたら、砂糖大根《ビード》工場に行つてみよう。私は平野も湖も見飽きましたと、友達に書きおくりながら、何故か湖を追つて歩いてゐるやうだ。元氣でゐなくてはいけない。
枕元には、明日行く然別湖のあらゆる姿態をした繪葉書が私を慰さめてくれる。
夜更けに女中が、よく水のあがつた鈴蘭の花を持つて來てくれた。此女中は札幌にさへも行つた事がないと云つてゐた。
然別湖はまだ洋燈《ランプ》ですよと、女中がいゝところだと云つてゐた。宿屋は一軒しかないさうだ。私はとぼしくなつた財布をひらいて、その宿屋はそんなに高くはないでせうねとたづねた。安かつたら二三日は泊りたいものである。
底本:「現代日本紀行文学全集 北日本編」ほるぷ出版
1976(昭和51)年8月1日初版発行
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5−86)を、大振りにつくっています。
入力:林 幸雄
校正:花田泰治郎
2005年8月20日作成
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