った。
 五日振りに天保山の安宿をひきあげて、バスケット一ツの漂々とした私は、もらわれて行く犬の子のように、毛布問屋に住み込む事になった。
 昼でも奥の間には、ポンポロ ポンポロ音をたてゝガスの灯がついている。漠々としたオフィスの中で、沢山の封筒を書きながら、私はよくわけのわからない夢を見た。そして何度もしくじって[#「しくじって」に傍点]は自分の顔を叩いた。
 あゝ幽霊にでもなりそうだ。
 青いガスの灯の下でじっと両手をそろえてみると爪の一ツ一ツが黄に染って、私の十本の指は蚕のように透きとおって見える。
 三時になると、お茶が出て、八ツ橋が山盛り店へ運ばれて来る。
 店員は皆で九人居た。その中で小僧が六人皆配達に行くので、誰が誰やらまだ私にはわからない。
 女中は下働きのお国さんと上女中のお糸さん二人。
 お糸さんは昔の(御殿女中)みたいに、眠ったような顔をしていた。
 関西の女は物ごしが柔らかで、何を考えているのだかさっぱり判らない。
「遠くからお出やして、こんなとこしんき[#「しんき」に傍点]だっしゃろ……。」
 お糸さんは引きつめた桃割れをかしげて、キュキュ糸をしごきながら、見
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