た男や女の顔が、一ツ一ツ白い雲の間からもれもれと覗いて来る。
あんまり昨日の空が青かったので、久し振りに、故里が恋しく、私は無理矢理に汽車に乗ってしまった。
今朝はもう鳴門の沖だ。
「お客さん! 御飯ぞなッ!」
誰もいない夜明けのデッキの上に、さゝけた私の空想はやっばり故里へ背いて都へ走っていた。
旅の故里ゆえ、別に錦を飾って帰る必要もないのだったが、なぜか佗しい気持でいっぱいだった。
穴倉のように暗い三等船室に帰って、自分の毛布の上に座ると丹塗りのはげた、膳の上にヒジキの煮たのや味噌汁があじけなく並んでいた。
薄暗い灯の下に大勢の旅役者やおへんろ[#「おへんろ」に傍点]さんや、子供を連れた漁師の上さんの中に混って、私も何だか愁々とした旅心を感じた。
私が銀杏返しに結っているので、「どこからお出でました?」と尋ねるお婆さんもあれば、「どこまで行きやはりますウ……。」と問う若い男もあった。
二ツ位の赤ん坊に添い寝していた、若い母親が、小さい声で旅の故里でかつて聞いた事のある子守唄をうたっていた。
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ねんねころ市
おやすみなんしよ
朝もとうからおきなされ
よひの浜風ア身にしみますで
夜サは早よからおやすみよ……。
[#ここで字下げ終わり]
やっぱり旅はいゝ。あの濁った都会の片隅でへこたれ[#「へこたれ」に傍点]ているより、こんなにさっぱりした気持になって、自由にのびのび息を吸える事は、あゝやっぱり生きている事もいいなと思う。
十二月×日
真黄ろに煤けた障子を開けて、ボアッボアッと消えてはどんどん降ってる雪をじっと見ていると、何もかも一切忘れてしまう。
「お母さん! 今年は随分雪が早いね。」
「あゝ」
「お父さんも寒いから難儀しているでしょうね。」
北海道に行ってもう四ヶ月あまり、遠くに走りすぎて商売も思うようになく、四国へ帰るのは来春だと云う父のたよりが来てこっちも随分寒くなった。
屋並の低い徳島の町も、寒くなるにつれ、うどん屋のだしを取る匂いが濃くなって、町を流れる川の水がうっすらと湯気を吐くようになった。
泊る客もだんだん少くなると、母は店の行灯へ灯を入れるのを渋ったりした。
「寒うなると人が動かんけんのう……。」
しっかりした故郷をもたない私達親子三人が、最後に土についたのが徳島だった。女の美しい、川の綺麗なこの町隅に、古ぼけた旅人宿を始めて、私は一年徳島での春秋を迎えた事がある。
だがそれも小さかった私……今はもう、この旅人宿も荒れほうだいに荒れ、母一人の内職仕事になってしまった。
父を捨て、母を捨て、長い事東京に放浪して疲れて帰った私も、昔のたどたどしい恋文や、ひさし髪の大きかった写真を古ぼけた箪笥の底にひっくり返してみると懐しい昔のいゝ夢が段々蘇って来る。
長崎の黄ろいちゃんぽん[#「ちゃんぽん」に傍点]うどんや尾道の千光寺の桜や、ニユ川で覚えた城ヶ島の唄や、あゝみんないゝ!
絵をならい始めた頃の、まずいデッサンの幾枚かゞ、茶色にやけて、納戸の奥から出て来ると、まるで別な世界だった私を見る。
夜炬燵にあたっていると、店の間を借りている月琴ひき[#「ひき」に傍点]の夫婦が漂々と淋しい唄をうたっては、ピンピン昔っぽい月琴をひゞかせていた。
外はシラシラと音をたてゝみぞれまじりの雪が降っている。
十二月×日
久し振りに海辺らしいお天気。
二三日前から泊りこんでいる、浪花節語りの夫婦が、二人共黒いしかん[#「しかん」に傍点]巻を首にまいて朝早く出て行くと、もう煤けた広い台所には鰯を焼いている母と私と二人きり。
あゝ田舎にも退屈してしまった。
「お前もいゝかげんで、遠くい行くのを止めてこっちで身をかためてはどうかい……お前をもらいたいと云う人があるぞな……。」
「へえ……どんな男!」
「実家は京都の聖護院の煎餅屋でな、あととりやけど、今こっちい来て市役所へ務めておるがな……いゝ男や。」
「………………。」
「どや……」
「会うてみようか、面白いな。」
何もかもが子供っぽくゆかいだった。
田舎娘になって、おぼこらしく顔を赤めてお茶を召し上れか、一生に一度はこんな芝居もあってもいゝ。
キイラリ キイラリ、車井戸のつるべを上げたりさげたりしていると、私も娘のように心がはずんで来る。
あゝ情熱の毛虫、私は一人の男の血をいたちのように吸いつくしてみたいような気がする。
男の肌は寒くなると蒲団のように恋しくなるものだ。
東京へ行こう!
夕方の散歩に、いつの間にか足が向くのは駅。駅の時間表を見ていると涙がにじんで来る。
十二月×日
赤靴のひもをといてその男が上って来ると、妙に胃が悪くなりそうで、私は真正面から眉をひそめてしまった。
「
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