りが、談話がとれなくて、油汗を流していると、秋田さんは二三枚すらすらと手を入れて下すった。
お寿司を戴く。来客数人あり。
暮れたのでおくって戴く。
赤い月が墓地に出ていた。灯の湧いた街ではシュッシュッ氷を削る音がする。
「僕は散歩が好きです。」
秋田氏は楽し気にコツコツ靴を鳴らしている。
「あそこがすゞらん[#「すゞらん」に傍点]!」
舞台の様なカフェー、変ったマダムだって誰かに聞いた。
秋田氏は銀座へ。
私は何か書きたい興奮で、沈黙って江戸川の方へ歩いて行った。
七月×日
階下の旦那さんが二日程国へ行って来ますと云って、二階へ後の事を頼みに今朝上って来たのに、社から帰えってみると、隣のミシンの娘さんが、帯をときかけている私を襖の裂けめから招いた。
「あのね一寸!」
向うから底声なので、私もそっといざり[#「いざり」に傍点]よると、
「随分ひどいのよ、下の奥さん外の男と酒呑んでるのよ……。」
「いゝじぁないの、お客さんかも知れないじゃないんですか。」
「だって、十八やそこいらの女が、あんなにデレデレして夫以外の男と酒呑めるか知ら……。」
帯を巻いて、ガーゼの浴衣をたゝんで、下へ顔洗いに行くと、腰障子の向うに、十八の花嫁さんは、平和そうに男と手をつなぎあって転がっていた。
昔の恋人かも知れない。
只うらやましい[#「うらやましい」に傍点]丈で、ミシンの娘さんのような興味はない。
夜。
御飯を焚くのがめんどうだったので、町の八百屋で一山拾銭のバナヽを買って来る。
女一人は気楽だなアー。
糊の抜けた三畳の木綿の蚊帳の中に、伸び伸びと手足を投げ出してヤーマ[#「ヤーマ」に傍点]を読む。
したゝか者の淫売婦が、自分の好きな男の大学生に、非常な清純な気持ちを見せる、厖大な本だ、頭がつかれる。
「一寸起きてますか?」
もう拾時頃だろうか、隣のシンガーミシンさんが帰えって来たらしい。
「えゝまだねむれないでいます。」
「一寸! 大変よ!」
「どうしたんです。」
「呑気ねッ、下じゃあの男と一緒に蚊帳の中へはいって眠ってゝよ。」
シンガーミシン嬢は、まるで自分の恋人でも取られたように、瞳をギロギロさせて、私の蚊帳にはいって来た。
いつもミシンの唄に明け暮れする彼女が、私の部屋になんか、めったにはいっ[#「はいっ」に傍点]て来ない行儀のいゝ彼女が、断りもしないで私の蚊帳へもぐり込むと、大きい息をついて、畳に耳をつけた。
「随分人をなめて[#「なめて」に傍点]いるわね、旦那さんかえって来たら皆云ってやるから、私よか十も下なくせに、ませ[#「ませ」に傍点]ているわね……。」
ガードを省線が、滝のような音をたてゝ通る。
一度も縁づいた事のない彼女が、嫉妬《ねたみ》がましい息づかいで、まるで夢遊病者のような狂体を演じようとしている。
「兄さんかも知れなくってよ。」
「兄さんだって、一ツ蚊帳には寝ないや。」
何か淋しい血のようなものが胸に込み上げて来た。
「瞳が痛いから電気消しますよ。」
彼女はフンゼンとして沈黙って出て行くと、やがて梯子段をトントン降りて行った。
「私達は貴方を主人にたのまれたのですよ。こんな事知れていゝのですか!」
切れ切れに、こんな言葉が耳にはいる。
一度も結婚しないと云う事は、あんなににも強く云えるものか……私は蒲団を顔へずり上げて固く瞼をとじた。
七月×日
――ビヤウキスグカヘレタノム
母よりの電報。
本当かも知れないが、嘘かも知れない。だが嘘の云えるような母ではない。出社前なので、急いで旅仕度をすると、旅費を借りに社へ行く。
社長に電報みせて、五円の前借りを申し込むと、前借は絶体に駄目だと云う。だが私の働いた金は取ろうと思えば拾五円位ある筈だ。不安になって来る。廊下に置いたバスケットが妙に厭になった、大事な時間を、借りる! と云う事で、それも正当な権利を主張しているのに、駄目だと云う。
これは、こんなところでみきわめ[#「みきわめ」に傍点]をつけた方がいゝかも知れない。
「じゃ借りません! 其代り止めますから今迄の報酬を戴きます。」
「自分で勝手に止されるのですから、社の方では、知りませんよ。満足に務めて下すっての報酬であって、まだ十二三日しかならないじゃありませんか!」
黄にやけたバスケットをさげて、私は又、二階裏へかえった。
ミシン嬢は、あれから、下の妻君と気持が凍って、引っ越しするつもりでいたらしかったが、帰えって見ると、どこかみつかったらしく、荷物を運び出していた。
彼女の唯一の財産である、ミシンだけが、不格恰な姿で、荷車の上に乗っかっていた。
全てはあゝ[#「あゝ」に傍点]空しである――。
七月×日
駅には、山や海の旅行者が、白
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