ぽどつまらない。」
「火事が来たって、大水が来たって逃げられないから……」
「馬鹿ね!」
「ホッホッ誰だって馬鹿じゃないの。」
 女達のおしゃべりは夏の青空、あゝ私も鳥か何かに生れて来るとよかった。
 電気をつけて阿弥陀を引く。
 私は四銭。女達はアスパラガスのように、ドロドロ白粉をつけたまゝ皆ゾロリと寝そべって、蜜豆を食べる。
 雨がカラリと晴れて、窓に涼しい風が吹いている。
「ゆみちゃん! あんたいゝ人があるんじゃない! 私そう睨んだわ。」
「あったんだけど遠くへ行っちゃったのよ。」
「素的ね。」
「あら、なぜ?」
「私別れたくっても、別れてくんないんですもの。」
 八重ちゃんは空になったスプーンを嘗めながら、今の男と別れたいわと云う。どんな男と一緒になっても同じ事だと私が云うと、
「そんな筈ないわ、石鹸だって、拾銭のと五拾銭のじゃ、随分品が違ってよ。」

 夜。
 酒を呑む。
 酒に溺れる。
 もらい――弐円四拾銭、アリガタヤ、カタジケナヤ。

 七月×日
 心が留守になると、つまずきが多い。ざんざ降りの雨の中を、私を乗せた自動車《くるま》は八王子街道を走っている。
 もっと早く!
 もっと早く!
 たまに自動車になんて乗れば、女王様のようにいゝ気持ち。町にパッパッと灯がつきそめる。
「どこへ行く?」
「どこだっていゝわ、ガソリンが切れるまで走ってよ。」
 運転台の松さんの頭が少し禿げかけている。若禿げかな。

 午後からの公休日を所在なく消していると、自分で自動車を持っている運転手の松さんが、自動車に乗せてくれると云う。
 たなし[#「たなし」に傍点]まで来ると、赤土へ自動車《くるま》がこね上って、雨のざんざ降りの漠々とした櫟の小道に、自動車《くるま》はピッタリ止ってしまった。遠くの眉程な山裾に、キラキラ灯がついているきりで、ざんざ降りの雨に、ゴロゴロ地鳴りのように雷が光りだした。雷が鳴るとせいせいしていゝ気持ちだが、シボレーの古自動車なので、雨がガラス窓に叩かれるたび、霧のようなしぶきが車室にはいる。
 その、たそがれの櫟の小道、自転車が一台通ったきりで、雨の怒号と、雷のネオン、サインだ。
「こんな雨じァ道へ出る事も出来ないわね。」
 松つぁんは沈黙って煙草を吸っている。
 だが、こんな善良そうな男に、こんな芝居よりもうまうまとしたコンタンはあり得ない。
 スイスイとしたいゝ気持だった。
 雷も雨も、破れるように響いてくれ。
 自動車は雨に打たれたまゝ夜の櫟林に転がってしまった。
 私は男の息苦るしさを感じた。機械油くさい葉っぱ服に押されると、私はおかしくもない笑いがこみ上げて来た。
 十七八の娘でもあるまいし、私は逃げる道を上手に心得ておりまする。私が男の首に手を巻いて言った事は、
「あんたは、まだ私を愛してるとも何とも言わないじゃないの……暴力で来る愛情なんて、私大嫌いさ、私が可愛かったら、もっとおとなしくなくちゃ厭だよだ。」
 私は男の腕に女狼のような歯形《くち》を当てた。
 私は胸が迫った。男の弱点《よわみ》と、女の弱点《よわみ》の闘争だ。
 雷と雨……夜がしらみかけた頃、男は汚れたまゝの顔で眠っている。ふゝんハイボク[#「ハイボク」に傍点]の兵士か!

 遠くで青空《レイメイ》をつげる鶏の声がする。朗らかな夏の朝、昨夜の情熱なんかケロリとして、風が絹のようにしゅうしゅう[#「しゅうしゅう」に傍点]流れている。
 此男があの人だったら……コッケイな男の顔を自動車に振り捨てたまゝ私は泥んこの道に降りた。
 紙一重の昨夜のつかれに、腫れぼったい瞳を風に吹かせて、久し振りに晴々と故郷のような路を歩いた。

 芙美子はケイベツすべき女で厶います!

 荒みきった私は、つッと櫟林を抜けると、松さんが、いじらしくなった。疲れて子供のように自動車に寝ている男の事を思うと、走ってかえって起してやろうかしら……でも恥ずかしがるかも知れないな、私は松さんが落ちついて、運転台で煙草を吸っていた事を思うと、やっぱり厭な男に思えた。
 誰か、私を愛《いと》しがって呉《くれ》る人はないか、七月の空に流離の雲が流れている、私の姿だ。野花を摘み摘みプロヴァンスの唄を唄った。

 八月×日
 女給達に手紙を書いてやる。秋田から来たばかりの、おみき[#「おみき」に傍点]さんが鉛筆を甞めながら眠りこけている。
 酒場ではお上さんが、一本のキング、オヴ、キングを清水で七本に利殖している。埃と、むし暑さ、氷を沢山呑むと、髪の毛が沢山抜けると云って氷を呑まない由ちゃんも、冷蔵庫から氷の塊を盗んで来ては、パリパリ噛んでいる。
「一寸! ラブレターって、どんな書き出しがいゝの……。」
 八重ちゃんが真黒な瞳をクルクルさせて、赤い唇を鳴らす。
 秋田とサガレ
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