かしいのなら、いっそ乞食にでもなって、全国を流浪して歩いたら面白いだろう、子供らしい空想にひたって、泣いたり笑ったり、又おどけたりふと窓を見ると、これは又奇妙な私の百面相だ。
 あゝこんな面白い生き方があったんだ、私はポンと固いクッションの上に飛び上ると、あく事もなく、なつかしくいじらしい自分の百面相に凝視ってしまった。[#地から2字上げ]――一九二三・四――
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   赤いスリッパ

 五月×日
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私はお釈迦様に恋をしました
仄かに冷い唇に接吻すれば
おゝもったいない程の
痺れ心になりまする。

ピンからキリまで
もったいなさに
なだらかな血潮が
逆流しまする。

心憎いまで落ちつきはらった
その男振りに
すっかり私の魂はつられてしまいました。

お釈迦様!
あんまりつれないではござりませぬか!
蜂の巣のようにこわれた
私の心臓の中に……
お釈迦様
ナムアミダブツの無情を悟すのが
能でもありますまいに
その男振りで
炎のような私の胸に
飛びこんで下さりませ

俗世に汚れた
この女の首を
死ぬ程抱きしめて下さりませ
ナムアミダブツの
お釈迦様!
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 妙に佗しい日だ、気の狂いそうな日だ。天気のせいかも知れない、朝から、降りしきってた雨が、夜になると風をまじえて、身も心も、突きさしそうにキリキリ迫って来る。こんな詩を書いて、壁に張りつけてみたものゝ私の心臓はいつものように、私を見くびって、ひどくおとなしい。
 ――スグコイカネイルカ
 蒼ぶくれのした電報用紙が、ヒラヒラ私の頭に浮かんで来る。
 馬鹿、馬鹿、馬鹿、馬鹿を千も万も叫びたい程、切ない私だ。高松の宿屋で、あの男の電報を受け取って私は真実、嬉し涙を流して、はち切れそうな土産物を抱いて、この田端の家へ帰えって来た。
 半月もたゝないうちに又別居だ。
 私は二ヶ月分の間代を払らってもらうと、程のいゝ居座りで、男は金魚のように尾をヒラヒラさせて、本郷の下宿に越して行った。
 昨日も、出来上った洗濯物を一ぱい抱えて、私はまるで恋人に会いに行くようにいそいそと、あの下宿の広い梯子を上って行った。
 あゝ私はあの時から、飛行船が欲しくなった。
 灯のつき初めた、すがすがしい部屋に、私の胸に泣きすがったあの男が、桃割れに結った、あの女優と、魚の様にもつれあっている。水の
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