二三人と、温い外に出た。
 こんなにいゝ夜は、裸になって、ランニングでもしたらさぞ愉快だろう。

 四月×日
「僕が電報打ったら、じき帰っておいで。」ふん! 男はまだ嘘を云ってる、私はくやしいけど、十五円の金をもらうと、なつかしい停車場へ急いだ。
 潮の香のしみた故里へ帰るんだ、あゝ何もかも何もかも行ってくれ、私に用はない。
 男と私は精養軒の白い食卓につくと、日本料理でさゝやかな別宴を張った。
「私は当分あっちで遊ぶつもりよ。」
「僕はこうして別れたって、きっと君が恋いしくなるのはわかっているんだ、只どうにも仕様のない気持なんだよ今は、ほんとうにどうせき止めていゝかわからない程、呆然とした気持なんだよ。」
 あゝ夜だ夜だ夜だよ。
 何もいらない夜だよ、汽車に乗ったら煙草を吸いましょう。
 駅の売店で、青いバットを五ツ六ツ買い込むと、私は汽車の窓から、ほんとに冷い握手をした。
「さよなら、体を大事にしてね。」
「有難う……御機嫌よう……。」

 固く目をとじて、パッと瞼を開くと、せき止められていた涙が、あふれ出る。
 明石行きの三等車の隅ッ子に、荷物も何もない私は、足をのびのびと投げ出して涙の出るにまかせて、なつかしいバットの銀紙を開いた。
 途中で面白そうな土地があったら降りてやろうかな……私は頭の上にぶらさがった地図を、じっと見上げて、駅の名を読んだ。
 新らしい土地へ降りてみたいな、静岡にしようか、名古屋にしようか、だが、何だかそれも不安になって来る。
 暗い窓に凭れて、じっと暗い人家の灯を見ていると、ふっと私の顔が鏡を見ているようにはっきり写っている。
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男とも別れだ
私の胸で子供達が赤い旗を振る
そんなによろこんでくれるか
もう私はどこへも行かず
皆と旗を振って暮らそう。

皆そうして飛び出してくれ
そして石を積んでくれ
そして私を胴上げして

石の城の上に乗せておくれ
さあ男とも別れだ泣かないぞ!
しっかりしっかり旗を振ってくれ
貧乏な女王様のお帰りだ。
[#ここで字下げ終わり]

 外は真暗闇、切れては走る窓の風景に、私は目も鼻も口もペッシャリとガラス窓にくっつけて、塩辛い干物のように張りついてしまった。

 私はいったい何処へ行くのかしら……駅々の物売りの声を聞くたびに、おびえた心で私は目を開く。
 あゝ生きる事がこんなにもむず
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