行かないか、田舎はいゝよ。」
 三年も此家で女給をしているお計ちゃんが男のような口のきゝかたでさそってくれた。
「えゝ……行くとも、何日でも泊めてくれて?」
 私はそれまで少し金を貯めよう。
 いゝなあ、こんな処の女達の方がよっぽど親切で思いやりがある。
「私しぁ、もうもう愛だの恋だの、貴女に惚れました、一生捨てないのなんて馬鹿らしい真平だよ。あゝこんな世の中でお前さん! そんな約束なんて何もなりはしないよ。私をこんなにした男は今、代議士なんてやってるけど子供を生ませると、ぷい[#「ぷい」に傍点]さ。私達が私生児を生めば皆そいつがモダンガールさ、いゝ面の皮さ……馬鹿馬鹿しいね浮世は、今の世は真心なんてものは、薬にしたくもないよ。私がこうして三年もこんな仕事をしてるのは、私の子供が可愛いからさ……ハッハッ……。」
 お計さんの話を聞いていると、ジリジリとしていた気持が、トンと明るくなる。素的にいゝ人だ。

 十月×日
 ガラス窓を、眺めていると、雨が電車のように過ぎて行った。
 今日は少しかせいだ。
 俊ちゃんは不景気だってこぼしている。でも扇風機の台に腰を掛けて、憂欝そうに身の上話をしたが、正直な人だ。
 浅草の大きいカフェーに居て、友達にいじめられて出て来たんだが、浅草の占師に見てもらったら、神田の小川町あたりがいゝって云ったので来たのだと云っていた。
 お計さんが、
「おい、こゝは錦町になってるんだよ。」
と云ったら、
「あらそうかしら……。」
とつまらなさそうな顔をしていた。
 此の家では一番美しくて、一番正直で一番面白い話を持っていた。
 メリービックホードの瞳を持って、スワンソンのような体つきをしていた。

 十月×日
 仕事をしまって湯にはいるとせいせいする。広い食堂を片づけている間に、コックや皿洗い達が先湯をつかって、二階の広座敷へ寝てしまうと、私達はいつまでも湯を楽しむ事が出来た。
 湯につかっていると、一寸も腰掛けられない私達は、皆疲れているのでうっとりとしてしまう。
 秋ちゃんが唄い出すと、私は茣蓙の上にゴロリと寝そべって、皆が湯から上ってしまうまで、聞きとれて[#「聞きとれて」はママ]いるのだった。

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貴女一人に身も世も捨てた
私しや初恋しぼんだ花よ。
[#ここで字下げ終わり]

 何だか真実に可愛がってくれる人が欲しく
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