いお山の閑古鳥。
何か書きたい。何か読みたい。ひやひやとした風が蚊帳の裾を吹く、十二時だ。
十月×日
少しばかりのお小遣いが貯ったので、久し振りに日本髪に結う。
日本髪はいゝな、キリヽと元結いを締めてもらうと眉毛が引きしまって、たっぷりと水を含ませた鬢出しで前髪をかき上げると、ふっさりと額に垂れて、違った人のように美しくなる。
鏡に色目をつかったって、鏡が惚れてくれるばかり。日本髪は女らしいね、こんなに綺麗に髪が結べた日にゃあ、何処かい行きたい。汽車に乗って遠くい遠くい行きたい。
隣の本屋で銀貨を一円札に替えてもらって故里のお母さんの手紙の中に入れてやった。喜ぶだろう。
手紙の中からお札が出て来る事は私でも嬉しいもの……。
ドラ焼きを買って皆と食べた。
今日はひどい嵐、雨が降る。
こんな日は淋しい。足がガラスのように固く冷える。
十月×日
静かな晩だ。
「お前どこだね国は?」
金庫の前に寝ている年取った主人が、此間来た俊ちゃんに話かける。寝ながら他人の話を聞くのも面白い。
「私でしか[#「私でしか」に傍点]……樺太です。豊原って御存知でしか[#「でしか」に傍点]?」
「樺太から? お前一人で来たのかね。」
「えゝ!」
「あれまあ、お前きつい[#「きつい」に傍点]女だね。」
「長い事函館の青柳町にもいた事があります。」
「いゝ所に居たんだね、俺も北海道だよ。」
「そうでしょうと思いました。言葉にあちらの訛[#「訛」に傍点]がありますもの。」
啄木の歌を思い出して真実俊ちゃんが好きになった。
[#ここから2字下げ]
函館の青柳町こそ悲しけれ
友の恋歌
矢車の花。
[#ここで字下げ終わり]
いゝね。生きている事もいゝね。真実に何だか人生も楽しいものゝように思えて来た。皆いゝ人達ばかりだ。
初秋だ、うすら冷い風が吹く。
佗しいなりにも何だか女らしい情熱が燃えて来る。
十月×日
お母さんが例のリウマチで、体具合が悪いと云って来た。
もらいがちっとも無い。
客の切れ間に童話を書く、題「魚になった子供の話」十一枚。
何とかして国へ送ってあげよう。老いて金もなく頼る者もない事は、どんなに悲惨な事だろう。
可哀想なお母さん、ちっとも金を無心して下さらないので余計どうしていらっしゃるかと心配します。
「その内お前さん、俺んとこへ遊びに
前へ
次へ
全114ページ中2ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
林 芙美子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング