えるまで帰えっちや駄目だわ……私達が叱られるもの、それにどんなもん持って行かれるか判らないし。」
 何と云う救いがたなき女達だろう、何がおかしいのか、皆目尻に冷嘲を含んで私が消えたら、一どきに哄笑しそうな様子だった。
 いつの間に誰か来たのか、玄関の横の庭には、赤い男の靴が一足ぬいであった。
「見て御らんなさいな、本が一冊と雑記帳ですよ、何も取りゃしませんよ。」
「帰えっちゃ、やかましいよ。」女中風な女が、一番不快だった。
 腹が大きくなると、こんなにもひねくれ[#「ひねくれ」に傍点]て動物的になるものか、彼女等の瞳はまるで猿だ。

「困るのは勝手ですよ。」外の暮色に押されて花屋の菜の花の前に来ると、始めて私は大きい息をついた。
 あゝ菜の花の古里。
 あの女達も、此菜の花の郷愁を知らないのかしら……だが、何年か、見きわめもつかない生活を東京で続けたら、私自身の姿があんな風になるかも知れない。
 街の菜の花!
 清純な気持ちで、生きたいものだ。何とかどうにか、目標を定めたいものだ。今見て来た女達の、実もフタもないザラザラした人情を感じると、私を捨てゝ去った島の男が呪ろわしくさえ思えて、寒い三月の灯の街に、呆然と私はたちすくむ。
 玉葱としょっぺ汁。
 共同たんつぼ[#「たんつぼ」に傍点]のような悪臭、いったいあの女達は誰を呪っているのかしら――。

 三月×日
 朝、島の男より為替来る。母さんのハガキ一通。
 当にならない僕なんか当にしないで、いゝ縁があったら結婚して下さい、僕の生活は当分、親のすねかじり、自分で自分がわからない、君の事を思うとたまらなくなるが、二人の間は一生ゼツボウ状態だろう――。
 男の親達が、他国者の娘なんか許るさないと云ったのを思い出すと私は子供のように泣けて来た。
 さあ、此拾円を松田さんに返えそう、そしてせいせいしてしまいたい。

 せいいっぱい声をはりあげて、小学生のような気持ちで本が読みたい。
 ハト、マメ、コマ、タノシミニマッテヰナサイか!
 郵便局から帰えって来ると、お隣のベニの部屋に、刑事が二人も来ていた。
 窓をあけると、三月の陽を浴びて、画学生たちが、すもうを取ったり、壁に凭れたり、あんなにウラウラと暮らせたらゆかいだろう。
 私も絵は好きなんですよ、ホラ! ゴオギャンだの、ディフィだの好きです。
「アパートに空間ありません
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