をポンポン開いて私に色んなお菓子をこしらえてくれた。小さいボーイが、まとめて私の荷物を運んで来ると、私はその寝台に長々と寝そべった。
 一寸頭を上げると円い窓の向うに大きな波のしぶき[#「しぶき」に傍点]が飛んでいる。
 今朝の美しい機関士も、ビスケットをポリポリかみながら一寸覗いて通る。私は恥かしいので、寝たふりをして顔をふせていた。
 ジュンジュン肉を焼く油の匂いがする。
「私はね、外国航路の厨夫なんですが、一度東京の震災も見度いと思いましてね、一と船休んで、こっちに連れて来て貰ったんですよ。」
 大変丁寧な物云いをする人である。
 私は高い寝台の上から、足をぶらさげて、御馳走を食べた。
「後でないしょでアイスクリームを製ってあげますよ。」
 真実、この人は好人物らしい。神戸に家があって、九人の子持ちだとこぼしていた。
 船に灯がはいると、今晩は皆船底に集ってお酒盛りだと云う。
 料理人の人達はてんてこ舞いで急がしい。

 私は灯を消して、窓から河のように流れ込む潮風を吸っていた。
 フッと私は、私の足先きに、生あたゝかい人肌を感じた。
 人の手だ!
 私は枕元のスイッチを捻った。
 鉄色の大きな手が、カーテンに引っこんで行くところである。
 妙に体がガチガチふるえる。どうなるものか、私は大きなセキをした。

 カーテンの外に呶鳴っている料理人の声がする。
「生意気な! 汚ない真似しよると承知せんぞ!」
 サッとカーテンが開くと、料理鉋丁のキラキラしたのをさげて、料理人が、一人の若い男の脊を突いてはいって来た。
 そのむくんだ顔に覚えはないが、鉄色のその手にはたしかに覚えがあった。
 何かすさまじい争闘が今にもありそうで、その料理鉋丁の動く度びに、私はキャッとした思いで、親指のようにポキポキした料理人の肩をおさえた。
「くせになりますよッ!」
 機関室で、なつかしいエンジンの音がする。
 手をはなすと、私は沈黙ってエンジンの音を聞いた。
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   秋の唇

 十月八日
 呆然と梯子段の上の汚れた地図を見ていると、蒼茫とした夕暮れの日射しに、地図の上は落寞とした秋であった。
 寝ころんで、煙草を吸っていると、訳もなく涙がにじんで、細々と佗しくなる。
 地図の上では、たった二三寸の間なのに、可哀想なお母さんは四国の海辺で、朝も夜も私の事を考えて暮らして
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