に傍点]でも食べましょうか。」
「私おそくなるから止しますわ。」
青年は長い事立ち止って汗をふいていたが、洋傘をくるくるまわすと、それを私に突き出して云った。
「これで五十銭借して下さい。」
私は伽話的な青年の行動に好ましい微笑を送った。そして気もちよく桃色の五拾銭札を二枚出して青年の手にのせてやった。
「貴方お腹がすいてたんですね……。」
「ハッ…………。」青年はほがらかに哄笑した。
「地震って素的だな!」
十二社までおくってあげると云う、青年を無理に断わって、私はテクテク電車道を歩いた。
あんなに美しかった女性達が、たった二三日のうちに、みんな灰っぽくなって、桃色の蹴出しは、今は用のない花である。
十二社についた時は、日暮れだった。四里はあるだろう。私は棒のようにつっぱった足を、父達の間借りの家へ運んだ。
「まあ入れ違いですよ、今日引越していらっしたんですよ。」
「まあ、こんな騒ぎにですか……。」
「いゝえ、私達が、こゝをたゝんで帰国しますから。」
私は呆然としてしまった。番地も何も聞いておかなかったと云う関西者らしい薄情さを持った髪のうすい此女を憎らしく思った。
私は堤の上の水道のそばに、米を投げるようにおろすと、深々と煙草を吸った。少女らしい涙がにじんで来る。
遠くつゞいた堤のうまごやし[#「うまごやし」に傍点]の花は、兵隊のように、皆地びたにしゃがんでいる。
星がチカチカ光りだした。野宿をするべく心をきめた私は、なるべく人の多いところへ。堤を降りると、とっつきの歪んだ床屋の前に、ポプラで囲まれた広場があった。
そして、二三の小家族が群れていた。
「本郷から、大変でしたね……。」
人のいゝ床屋のお上さんは店から、アンペラを持って来て、私の為に寝床をつくってくれた。
高いポプラがゆっさゆっさ[#「ゆっさゆっさ」に傍点]風にそよぎ出した。
「これで雨にでも降られたら、散々ですよ。」
夜警に出かける、年とった御亭主が、鉢巻きをしながら、空を見て、つぶやいた。
九月×日
朝。
久し振りに、古ぼけた床屋さんの鏡を見る。
まるで山出しの女中さんだ、私は苦笑しながら、髪をかきあげた。油っ気のない髪が、バラバラ額にかゝって来る。
床屋さんに、お米二升お礼に置く。
「そんな事してはいけませんよ。」
お上さんは一丁ばかりもおっかけて、
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