ージ]

   三白草《どくだみ》の花

 九月×日
 今日も亦あの雲だ。
 むくむくと湧き上る雲の流れを私は昼の蚊帳の中から眺めていた。

 今日こそ十二社に歩いて行こう――そうしてお父さんやお母さんの様子を見てこなくちゃあ……私はお隣りの信玄袋に凭れている大学生に声を掛けた。
「新宿まで行くんですが、大丈夫でしょうかね。」
「まだ電車も自動車もありませんよ。」
「勿論歩いて行くんですよ。」
 此青年は沈黙って無気味な雲を見ていた。
「貴方はいつまで野宿をなさるおつもりですか?」
「さあ、此広場の人達がタイキャク[#「タイキャク」に傍点]するまで、僕は原始にかえったようで、とても面白いんです。」
 チェッ生噛じりの哲学者メ。
「御両親のところで、当分落ちつくんですか……。」
「私の両親なんて、私と同様に貧乏で間借りですから、長くは居ませんよ、十二社の方は焼けてやしないでしょうね。」
「さあ、郊外は×××が大変だそうですね。」
「でも行って来ましょう。」
「そうですか、水道橋までおくってあげましょう。」
 青年は土に突きさした洋傘を取って、クルクルまわしながら、雲の間から、霧のように降りて来る灰をはらった。
 私は四畳半の蚊帳をたゝむと、崩れかけた下宿へ走った。宿の人達は、ゴソゴソ荷物を片づけていた。
「林さん大丈夫ですか、一人で……。」
 皆が心配してくれるのを振りきって、私は木綿の風呂敷を一枚持って、モウモウとした道へ出た。
 根津の電車通りは、みゝず[#「みゝず」に傍点]のようにかぼそく野宿の群がつらなっていた。
 青年は真黒に群れた人波をわけて、くるくる黒い洋傘をまわして歩いている。

 私は下宿に、昨夜間代を払わなかった事を何か奇蹟のように思えた。お天陽様相手に行動をしている、お父さん達の事を思うと、此三拾円ばかりの月給も、おろそかにつかえない。
 途中壱升壱円の米を二升買う。
 外に朝日五ツ。
 干しうどん[#「うどん」に傍点]のくず[#「くず」に傍点]五拾銭買う。
 お母さん達が、どんなに喜こんでくれるだろう。じりじりした暑さの中に、日傘のない私は、長い青年の影をふんで歩いた。
「よくもこんなに焼けたもんだ!」
 私は二升の米を肩を替えながら脊負って歩くので、はつか[#「はつか」に傍点]鼠くさい体臭がムンムンして厭だった。

「すいとん[#「すいとん」
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