酒を飮んでうさをごまかしてもゐた。
戰爭も終り、急轉して運命が變り、いまは昔のおもかげもない、小舍同樣のバラツク住ひのみすぼらしさに落ちてしまつた。
運命がすつぱりと一刀兩斷に切り變つてしまつた現在では、もう考へる事すべてが無駄である。淋しさを慰さめる、人間の生身の相手は、酒のみにあらずと云ふ考へも浮び、老人の最後の燭火《ともしび》も欲しいと云ふ、いやしい欲も時々ほのめく時がないでもない。鷄の聲は朝々いさましく時を告げた。隆吉は、その鷄の聲をきくたび、同じやうな考へに耽り、ああと、あくびまじりな溜息がいくつか出てくる。
或る日、亮太郎が、その未亡人を連れて來た。それは思ひがけなく、若々しい女で、小柄ではあつたが肉づきのいい、美人ではなかつたが、愛嬌のある丸顏で、未亡人と云つた暗さのない女であつた。良人は軍醫中尉で、マニラで戰死したのだとかで、子供もなく、洋裁をして今日まで何とか切り拔けて來たのだと亮太郎から聞いた。隆吉は、背の高い大柄な女が好きであつたが、その婦人は、自分の好みとは反對であつたけれども、如何にも好感の持てる風姿であつた。美しい手をしてゐた。亡妻と違つて色白で、きめのこまかい、それに、情熱のこもつた細い眼もとが、隆吉には素直にうけとれた。妙子は知らん顏をしてゐる樣子だつたが、心ではよく承知してゐたとみえて、甘えるやうなかつかうで、その女に洋服の仕立てを頼んだりしてゐる。妙子は機敏に相手を利用する事がうまく、すぐ、もう寒さに向ふ支度をちやんと、心のなかに勘定してゐる樣子である。
何氣ない見合ひであつたけれども、何にしても、お互ひは他人同志である。貰ふにしても、他人同志のぎごちなさをとりはらふには、狹い部屋で年頃の娘と枕を並べて寢ると云ふわけにはゆかない。妙子は駻馬である。隆吉は思ひ迷はずにはゐられなかつた。後日の亮太郎の話によれば、その、宮内はなと云ふ女性も、隆吉に好意を持つてゐると云ふ事であれば、隆吉としては何となく心が動かないではゐられなかつた。五十の坂を越して、自分をすつかり見捨ててゐた時であるだけに、多少なりとも、若い女性に好意を持たれる事はうれしい事である。
「宮内さんは、以前、うちの女房と同じ女學校にも勤めてゐてね。若い娘はあつかひつけてゐるンで、妙子さんにも好意を持つてゐるンだよ。妙子さんの冬服をつくるンだとはりきつてゐたよ」
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