隆吉は惡い氣はしなかつた。
宮内はなは信州の生れで、現在は、姉一人のみよりだけで、いまは、大家族の姉の家にやつかいになつてゐるのださうである。結婚の相手でもみつかれば、何とか早く越してしまはなければならぬと云ふありさまで、越すにしても、ミシンを二臺に、身のまはりのものも多少はあると云ふので、まさか隆吉のバラツクのやうなところにいれるわけにゆかないであらう。亮太郎の話によれば、
「何も君、折角の縁だもの、このへんにかつかうの部屋をみつけて、君達だけ越すのさ。妙子さんは、店へあのまゝ留守番に置いとけばいゝだらう」と云ふのであつた。
「さうもゆかないよ。まだ、何ていつても子供だもの、あぶないからね」
すると亮太郎はからからと笑つて、
「妙子さんなら、君よりも大丈夫だ。とても悧巧者で、ちやんとやつてゆけるよ。何なら、僕から云つてもいゝがね……」
亮太郎は一日も早くまとめたい風な樣子である。
隆吉は迷はないわけにはゆかなかつた。妙子と今日まで辛苦をともにして來てゐながら、いまさら、自分の幸福だけを考へるのも、殘酷なやうな氣がして來る。妙子は相變らず元氣で、父親のさうした惱みには少しもふれては來なかつた。
見合ひをして、ものの十日もたゝぬうちに、妙子に灰色のスーツに、ピンクのブラウスが宮内はなのところからとどけられて來た。スーツの布地は隆吉が同じマアケツトの店からみたてて割合安く買つておいたものであつたが、ピンクの、デシンのブラウスは宮内はなの心づかひであつたので、妙子よりも隆吉はその贈物に心をときめかせるありさまで、縫賃も取らないと云ふ、まことに有難いほどな心意氣であつてみれば、もう、一瀉千里な氣特にならずにはゐられない。
或る夜の、親子の寢物語りに、隆吉は、それとなく、亮太郎からの話だがねと、宮内はなとの縁談を妙子に話してみた。妙子は一寸眞生目な表情で父を見てゐたが、ふつと、唇邊にうす笑ひを浮べて、
「私、お父さんの幸福になる事なら何でもいいと思ふわ。でも、私一人でこゝに留守番するの厭よ。――私が、何處からか通つて來ていけないかしら……」と云つた。
「通ふつて、何處から通ふンだい?」
「うん、私、いゝところあるのよ。此間から、私、そこへ行きたいと思つてゐたンだけど、お父さんが叱ると思つて默つてゐたのよ……」
いゝところがあると云はれて、隆吉は何とも云へない氣持
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