りませんのに、改造社から、稿料を貰った時はひどく身に沁《し》みる思いでした。――女人芸術には、毎月続けて放浪記を書いておりましたが、女人芸術は、何時か左翼の方の雑誌のようになってしまっていましたので、一年ほど続けて止めてしまいました。平林たい子さんは、文芸戦線から押されてその時はそうそうたる作家になっていました。女人芸術に拠っていました時、中本たか子さんや、宇野千代《うのちよ》さんを知りました。宇野千代氏は、当時、私の最も敬愛する作家でした。
この頃から、私は図書館を放浪しはじめ上野の図書館へは一年ほど通いました。此様に私にとって愉しい時代はありませんでした。眼は近くなり乱視の状態にまでなりましたが、私は毎日図書館通いをして乱読暴読しました。ここでは岡倉天心《おかくらてんしん》の茶の本とか唐詩選、安倍能成《あべよししげ》と云う方のカントの宗教哲学と云ったぜいたく[#「ぜいたく」に傍点]な書物まで乱読しました。この頃から小説を書いてみたいと思い始めましたが、長い間雑文にまみ[#「まみ」に傍点]れていましたので、私の筆は荒《すさ》んでいて、二、三枚も書き始めると、自分に絶望して来るのです
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