私は、言葉が乱暴なので、よく先生に叱られた。先生は、三十を過ぎた太った女のひとであった。いつも前髪の大きい庇《ひさし》から、雑巾《ぞうきん》のような毛束《けたば》を覗かしていた。
「東京語をつかわねばなりませんよ」
それで、みんな、「うちはね」と云う美しい言葉を使い出した。
私は、それを時々失念して、「わしはね」と、云っては皆に嘲笑《ちょうしょう》された。学校へ行くと、見た事もない美しい花と、石版絵がたくさん見られて楽しみであったが、大勢の子供達は、いつまでたっても、私に対して、「新馬鹿大将」を止《や》めなかった。
「もう学校さ行きとうはなか?」
「小学校だきゃ出とらんな、おッ母さんば見てみい、本も読めんけん、いつもかつも、眠《ねむ》っとろうがや」
「ほんでも、うるそ[#「うるそ」に傍点]うして……」
「何がうるさ[#「うるさ」に傍点]かと?」
「云わん!」
「云わんか?」
「云いとうはなか!」
刀で剪《き》りたくなるほど、雨が毎日毎日続いた。階下のおばさんは、毎日昆布の中に辻占と山椒を入れて帯を結んでいた。もう、黄いろいご飯も途絶え勝ちになった。母は、階下のおばさんに荷札に針金を通す仕事を探してもらった。父と母と競争すると母の方が針金を通すのは上手であった。
私は学校へ行くふり[#「ふり」に傍点]をして学校の裏の山へ行った。ネルの着物を通して山肌がくんくん匂っている。雨が降って来ると、風呂敷で頭をおおうて、松《まつ》の幹に凭れて遊んだ。
天気のいい日であった。山へ登って、萩《はぎ》の株の蔭《かげ》へ寝ころんでいたら、体操の先生のように髪を長くした男が、お梅《うめ》さんと云う米屋の娘と遊んでいた。恥《は》ずかしい事だと思ったのか私は山を降りた。真珠色《しんじゅいろ》に光った海の色が、チカチカ眼をさした。
父と母が、「大阪の方へ行ってみるか」と云う風な事をよく話しだした。私は、大阪の方へ行きたくないと思った。いつの間にか、父の憲兵服も無くなっていた。だから風琴がなくなった時の事を考えると、私は胸に塩が埋《うま》ったようで悲しかった。
「俥でも引っぱってみるか?」
父が、腐り切ってこう云った。その頃、私は好きな男の子があったので、なんぼう[#「なんぼう」に傍点]にもそれは恥ずかしい事であった。その好きな男の子は、魚屋のせがれ[#「せがれ」に傍点]であった
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