し、しかも、大學を出たての青年のやうに、野心が躯ぢゆうにみなぎつて來るこのごろを、廣太郎はくすぐつたく考へてゐた。
 ふじ子は、急に良人の生々としてきたそぶりをみせつけられると、妻らしい敏感さで第六感を働かしてゐるやうであつた。別に根掘り葉掘りのありさまではなかつたけれど、悶々としてゐるところが廣太郎には察しられてゐた。
 こんな、むしむしした夫婦の状態が半年ばかりもつゞき、廣太郎は自分でも大人氣ないとは思ひつゝも、たうとう家を出てしまひ、八重子と郊外の宿屋で二三日遊びつづけてゐた。
 たとひ我《われ》わが財産《たから》をことごとく施し、又わがからだを燒かるゝ爲に付《わた》すとも、愛なくば我に益なし。コリント書の一節をくちずさみながら八重子のそばにゐることを、廣太郎は幸福に感じてゐた。女のあさぐろい皮膚は、いま海からあがつたやうな、鹽つぽさと新鮮さがあつて、このまゝ海の底ふかく溺れてしまつてもよいやうな、そんな男の熱情をかきたててくれる。
 廣太郎が疲れて家へ戻つて來たのは、家を出てから四日目の夜であつた。ふじ子は默つてゐた。子供たちもいやにおとなしかつた。何かひそんでゐるやうな不氣味
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