行つた。帽子をあみだにかぶつて、ステッキを持ち、網棚から土産物をおろして、廣太郎は悠々と窓から首を出して見たが、ホームに八重子らしいおもかげは見えなかつた。
 電報を見ないはずはないのだが、奴さん、もう店へ出てゐたのかも知れんな、廣太郎は、一寸ばかり失望した氣持で、人のまばらになつたホームを歩いていつた。
 おゝ、道《だう》は形無し、か、垢《く》去りて明存《みやうそん》し‥‥だな、廣太郎は、白い飛沫をあげて降りつゞけてゐる雨のうつたうしさを眺めて肚のなかから佗しさの溜息を吐いてゐた。
 四方八方にゆきくれたおもひである。
 明日から、また、會社へ出てゆき、あの世界に身を屈して働くより仕方もないのだらう。人の山林を調べ、人の邸内の坪數を評價して、この鬱勃たる人生が暮れてゆくのも俺の運命かも知れない。
 瀧野川へ戻つてみたが、家は鍵がかゝつてゐて誰もゐる樣子がなかつた。差配に鍵をかりてやつと家の中へ這入つたが、家の中は雜然としてゐた。玩具箱がひつくりかへつてゐたし、ハンモックも吊つたなりだつた。よほど以前から、皆さんゐらつしやらないのですよ、と隣家のものが教へてくれた。
 廣太郎は、ハンモ
前へ 次へ
全24ページ中19ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
林 芙美子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング