、上の子の健吉は、親子丼の蓋をあけて母を待つてゐた。妹のちづ子の方は、狹い蚊帳の中で寢てゐる。
「おや、ちいちやん寢ちまつたのね、おうどんをすこし食べさせようと思つたのに‥‥」
「僕、これ食べていゝ?」
「あゝ、おあがんなさい、――でも、一寸、お顏とお手々を拭いてからね」
ふじ子が濡れ手拭を健吉の顏へ持つてゆくと、健吉は箸を持つたなりで、顏だけふじ子の方へつき出してきた。
「ねえ、お母さん、こゝへ、いくつ泊るの?」
「明日までよ」
「明日、姫路へかへるの?」
「さうね、そりやア、わからないわ、どんなになるか‥‥」
「お父さん、いつ來るの?」
「何處へ?」
「だつて、お父さん、僕にすぐ歸るつて云つたよ‥‥」
「御飯つぶをちらかさないでおあがんなさい、――あゝ、暑いねえ、なンてむしむしする晩だらう‥‥」
「とてもおいしいよ、母さん食べない?」
「いゝから召上れ‥‥」
ふじ子は白い蚊帳のなかへはいつて、肌ぬぎになると、濡れ手拭で、胸や腕をきしきしこすつた。汚れた蚊帳は、ところどころ小さい穴があいてゐる。ちづ子は、鼻の頭にいつぱい汗をためてよく眠つてゐた。
「お母さん、こゝは何處なの?」
「どこでもいゝぢやアないの、さつさと食べて頂戴」
「僕、お水がのみたいなア」
「いけません、こんな處にお水なンてありませんよ、その、おうどんのおつゆをすゝつておいたら‥‥」
「だつて、しよつぱいンだもの‥‥」
「お茶はもうないの?」
「もうないよ」
蚊帳から這ひ出て、ふじ子は階下へ白湯を貰ひに降りて行つた。狹い臺所で白湯を貰ひ、序に團扇をかりて二階へあがつて來ると、健吉は不服さうな顏をして、
「ねえ、僕、何を着て寢るのさ?」
と、蚊帳の外へつゝ立つてゐる。
ふじ子は良人によく似た我まゝな子供の横顏を見て、急に激しい怒りやうになり、ものも云はずに、健吉のスポーツ襯衣やズボンを手荒くぬがしてやつた。
「腹卷一つぢやないか‥‥」
「それでいゝのよツ。こんなに、何もないところで泊つてゐるのがわからないの? 健ちやんも、お父さんにくつついて行けばいゝのよ。――健ちやんだつて、もう七ツでせう。こゝはお家にゐるやうにはゆかないのよツ」
健吉はしぶしぶ蚊帳の中へ這入つて、母の持つてきた團扇で、ぱたぱた裸の胸をあふいでゐた。なまぬるい風が、ふはふは蚊帳の裾を波立たしてゐる。健吉は、思ひついたやう
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