になつたのは、十九の時であつた。大した芸事も身につけてはゐなかつたが、只、美しいと云ふ事で芸者になり得た。その頃、仏蘭西人で東洋見物に来ていたもうかなりな年齢の紳士の座敷に呼ばれて、きんは紳士から日本のマルグリット・ゴオチェとして愛されるやうになり、きん自身も、椿姫気取りでゐた事もある。肉体的には案外つまらない人であつたが、きんには何となく忘れがたい人であつた。ミッシェルさんと云つて、もう、仏蘭西の北の何処かで死んでゐるに違ひない年齢である。仏蘭西へ帰つたミッシェルから、オパールとこまかいダイヤを散りばめた腕環を贈つて来たが、それだけは戦争最中にも手放さなかつた。――きんの関係した男達は、みんなそれぞれに偉くなつていつたが、この終戦後は、その男達のおほかたは消息も判らなくなつてしまつた。相沢きんは相当の財産を溜め込んでゐるだらうと云ふ風評であつたが、きんはかつて待合をしようとか、料理屋をしようなぞとは一度と考へた事がなかつた。持つてゐるものと云へば、焼けなかつた自分の家と、熱海の別荘を一軒持つてゐるきりで、人の云ふほどの金はなかつた。別荘は義妹の名前になつてゐたのを、終戦後、折を見て手
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