らうね。金のないものには、まづ、そンな心配はないさ」「本当ね……」きんはいそいそとウイスキーの瓶を田部のグラスに差した。「あゝ、箱根かどつか静かなところへ行きたいな。二三日そんな処でぐつすり寝てみたい」「疲れてるの」「うん、金の心配でね」「でも、金の心配なンて貴方らしくていゝじやアありませんの? なまじ、女の心配ぢやないだけ……」田部は、きんの取り澄してゐるのが憎々しかつた。上等の古物を見てゐるやうでをかしくもある。一緒に一夜を過したところで、ほどこしをしてやるやうなものだと、田部は、きんのあご[#「あご」に傍点]のあたりを見つめた。しつかりしたあごの線が意志の強さを現はしてゐる。さつき見た唖の女中の水々しい若さが妙に瞼にだぶつて来た。美しい女ではないが、若いと云ふ事が、女に眼の肥えて来た田部には新鮮であつた。なまじ、この出逢ひが始めてならば、かうしたもどかしさもないのではないかと、田部は、さつきよりも疲れの見えて来たきんの顔に老いを感じる。きんは何かを察したのか、さつと立ちあがつて、隣室に行くと、鏡台の前に行き、ホルモンの注射器を取つて、ずぶりと腕に射した。肌を脱脂綿できつくこすりな
前へ 次へ
全34ページ中22ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
林 芙美子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング