働いてくれるものだと云ふ事もきんは知つてゐた。女中との二人住ひで、四間ばかりの家うちは、外見には淋しかつたのだけれども、きんは少しも淋しくもなかつたし、外出ぎらひであつてみれば、二人暮しを不自由とも思はなかつた。泥棒の要心には犬を飼ふ事よりも、戸締りを固くすると云ふ事を信用してゐて、何処の家よりもきんの家は戸締りがよかつた。女中は唖なので、どんな男が尋ねて来ても他人に聞かれる心配はない。その癖きんは、時々、むごたらしい殺され方をしさうな自分の運命を時々空想する時があつた。息を殺してひつそりと静まり返つた家と云ふものを不安に思はないでもない。きんは、朝から晩までラジオをかける事を忘れなかつた。きんはその頃、千葉の松戸で花壇をつくつてゐる男と知りあつてゐた。熱海の別荘を買つた人の弟だとかで、戦争中はハノイで貿易の商社を起してゐたのだけれども、終戦後引揚げて来て、兄の資本で松戸で花の栽培を始めた。年はまだ四十歳そこそこであつたが、頭髪がつるりと禿げて、年よりは老けてみえた。板谷清次と云つた。二三度家の事できんを尋ねて来たけれども、板谷は何時の間にかきんの処へ週に一度は尋ねて来るやうになつてゐ
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