――きんは、空襲の激しい頃、捨て値同様の値段で、現在の沼袋の電話つきの家を買ひ、戸塚から沼袋へ疎開してゐた。戸塚とは眼と鼻の近さでありながら、沼袋のきんの家は残り、戸塚のすみ子の家は焼けた。すみ子達が、きんのところへ逃げて来たけれども、きんは、終戦と同時にすみ子達を追ひ出してしまつた。尤も追ひ出されたすみ子も、戸塚の焼跡に早々と家を建てたので、かへつていまではきんに感謝してゐる有様でもあつた。今から思へば、終戦直後だつたので、安い金で家を建てる事が出来たのである。
 きんも熱海の別荘を売つた。手取り三十万近い金がはいると、その金でぼろ家を買つては手入れをして三、四倍には売つた。きんは、金にあわてると云ふ事をしなかつた。金銭と云ふものは、あわてさへしなければすくすくと雪だるまのやうにふくらんでくれる利徳のあるものだと云ふ事を長年の修業で心得てゐた。高利よりは安い利まはりで固い担保を取つて人にも貸した。戦争以来、銀行をあまり信用しなくなつたきんは、なるべく金を外へまはした。農家のやうに家へ積んで置く愚もしなかつた。その使ひにはすみ子の良人の浩義を使つた。幾割かの謝礼を払へば、人は小気味よく
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