は大丈夫だったかしらと、何の錯覚からかそんな事まで考えたりした。
 昔、わたしはこの町で随分貧しい暮らしをしていた。さまざまなものが生々と浮んで来る。その当時の苦痛がかえってはっきり心に写って来る。休止状態にあったみじめな生活が、海の上に浮んで来る。わたしは昔のおもい出で、窒息しそうに愉《たの》しかった。その愉しさは狂人みたいだった。Y襯衣《シャツ》の胸の釦《ボタン》をみんなはずして、大きな息をしたいほどな狂人じみた悲しさだった。明日は因《いん》の島《しま》へ行ってみようと思ったりした。
 風呂から上ると、わたしは廊下を通る女中を呼びとめて、上等の蒲団《ふとん》へ寝かせて下さいと頼んだ。なりあがりものの素質をまるだしにしてしまって、だが、その気持ちは子供のような歓びなのだ。わたしは海ばかり見ていた。ちぬご、かわはぎ、かながしら、色々な魚が宙に浮んで来る。
 夜になると宿屋の上をほととぎすが鳴いて通った。この町では晩春頃からほととぎすが鳴きに来た。学校の国文の教師や、女友達が遊びに来てくれた。子供を寝かしつけていて遅くなったと云う友達もあった。

      *

 翌日は早く起きて因の
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