田舎がえり
林芙美子

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)凭《もた》れて

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)大石|内蔵之助《くらのすけ》の

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
   (数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)※[#「魚+予」、第4水準2−93−33]《かます》かなんか
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 東京駅のホームは学生たちでいっぱいだった。わたしの三等寝台も上は全部学生で女と云えば、わたしと並んだ寝台に娘さんが一人だった。トランクに凭《もた》れて泣いているような鼻のすすりかたをしている。わたしは疲れていたので、枕もとのカアテンを引いてすぐ横になったが、眼をつぶらないうちに頭のところのカアテンが開いてしまって、三階の寝台で新聞を拡げている音がしている。三階から下まで通しになった一つのカアテンなので、一人が眠くなって灯をさえぎりたくても、上の方で眠くない人がカアテンを開けると、寝た顔は何時《いつ》までも廊下の灯の方へ晒《さら》していなければならない。仕方がないので、ハンカチを顔へあてて眠ったが、なかなか寝つかれなかった。阿部ツヤコさんの三等寝台の随筆を読むと、近所同士がすぐ仲よくなれて愉《たの》しそうだったけれども、わたしの三等寝台はとっつきばのない近所同士だった。熱海《あたみ》あたりで眼が覚めると、前の娘さんは帯をといて寝巻きに着替える処《ところ》だった。羽織と着物を袖《そで》だたみにして風呂敷に包むと、少時わたしの寝姿を見ていて横になった。
(どの辺かしら)わたしはひとりごとを云ってちょっと起きあがってみたが、娘さんは黙ったまま湿ったようなハンカチを顔へあてて鼻をすすっている。二階の寝台からは縄のようになったサスペンダーと、大きな手がぶらさがっている。気になってなかなか寝つかれなかった。ポーランドの三等列車にどこか似ている。――朝眼が覚めたのは大垣《おおがき》あたりだった。娘さんは床の上へハンカチを落してよく眠っていた。昨日は灯火《あかり》が暗くてよく分らなかったけれども、本当に泣いたのだろう、瞼《まぶた》が紅《あか》くふくらんでいた。顔を洗いに行って帰って来ると、娘さんは起きて着物を着替えていたが、わたしの上の寝台からは、まだサスペンダーがぶらさがっている。娘さんと眼
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