が合っても娘さんはにこりともしない。よっぽど考えることがあったのだろう。小さい鏡を出して髪かたちを調《ととの》えると、また昨夜のようにトランクに肘《ひじ》をついて鼻をすすっていた。
*
わたしは京都へ降りた。二等車からも、外国人が四、五人降りて来ていた。わたしは赤帽がみつからなかったので、ホームへ降ろしたトランクをさげて歩み出すと、「ヴァラ」と云って、わたしの小さい蝙蝠傘《こうもりがさ》を背の低い男の外国人がひろってくれた。「メェルスィ・ビヤン!」そう応《こた》えて、わたしは思わず顔の赧《あか》くなるような気持ちを感じてたじたじとなってしまった。巴里《パリ》にいたとき、何度かこんな片言《かたこと》を云っていたが、京都でこんな言葉を使うとはおもいもよらないことだ。関西に住み馴れた仏蘭西《フランス》人なのだろう。橋を渡ってさっさと改札口へ行った。同じ席にいた鼻をすする娘さんも京都で降りてわたしの横を改札口の方へ歩いて行っている。
朝なので、駅の前はしっとりしていて気持ちがよかった。ホテルの旗をたてた人力車が何台もならんでいたりする。東京駅には人力車なんてなかったが、京都は人力車が随分多い処だ。――縄手《なわて》の西竹と云う小宿へ行った。小ぢんまりとした日本宿だと人にきいていたので、どんな処かと考えていたが、数寄屋《すきや》造りとでも云うのだろう、古くて落ちついた宿だった。前が阿波屋と云う下駄屋で、狭い往来《おうらい》はコンクリートの固い道だった。荷車に花を積んだ花売りが通る。赤い鉢巻きをした黒い牛が通る。朝の往来はすがすがしかった。わたしの部屋は朝だと云うのに暗くて、天井の低い部屋だった。裏は四条の電車の駅とかで、拡声機の声がひっきりなしに聴《きこ》えて来る。わたしは小さい机に凭れて宿帳《やどちょう》を書き、障子《しょうじ》を開けてみたり、鏡台の前に坐ってみたりした。明日の講演さえなければ奈良の方へでも行ってみたいなとおもった。
障子を開けると、屋根の上に細い台がこしらえてあって、幾鉢か植木鉢が置いてある。白い花を持った躑躅《つつじ》や、紅い桃、ぎんなん[#「ぎんなん」に傍点]の木、紅葉、苔《こけ》の厚く敷いた植木鉢が薄陽《うすび》をあびて青々としていた。庭が狭いので、屋根の上に植木を置いて愉しむ気持ちを面白いとおもった。如何《いか》にも京都の宿屋
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