亡妻のつると、嘉吉の嘉の字を織りこんで、此符牒はあんまり芽出度すぎる。嘉吉は怒つてしまつて、むきにつんつんしてゐるなか子が、急に可愛くなつてしまつた。では、デパート並に、もう値段をちやんと入れておいてやらう、その方が買ふ方も売る方もさばさばしてよからうと、急にゴム印を買つて来て、符牒の上へ一々値段をくつゝけてくれた。だが、浮世ぐらしのやうななか子には、「はい、そのすてゝこは六十銭でございます」とか「その襯衣はゴム織の上等で、壱円二拾銭なら本当に高く戴いてないつもりでございます」なんぞ、芯から面倒で、第一、拾円札で壱円八拾九銭なぞと云ふ買物になると、一々奥の嘉吉へ「あなたやつて頂戴よ」と云つて走り込んで来た。始めの程は、嘉吉も笑つてゐたが、二年になつても三年になつても家の商売に馴れやうとはせずに、何時も家ぢゆうの陽のあたる処を見つけては、その陽溜りへ講談本なぞを展げてゐたり、夏になると、ひといちばい暑つがりやで、台所の板の間へ茣蓙を敷いて、まるで生魚のやうにごろんごろんとしてゐるのであつた。嘉吉も、これはひどい女を背負ひこんでしまつたものだと考へる時もあつたが、奇妙に、台所仕事が手綺麗で
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