どころのなかつた不安が、金や生活ではなく、小さな女の愛情に廻流してゐたのだと、嘉吉はなか子へ向つて、「おゝい、おゝい」といまさら呼びかけるやうな気持ちであつた。
 裏窓の下を郊外電車が走つてゐる。嘉吉は何時の間にか、頭の上に灯火をつけたまゝ疲れて鼾をたてゝ寝てしまつた。

 なか子にしたところで、今度のことは、何となく気にいらないわかれかたで、あんなに、嘉吉の気質に倦き倦きしてゐながら、びつしより濡れたやうになつて働き口をみつけに何処かへ行つてしまつたとなると、女中部屋に眠つてゐても何となく寝覚めが悪るかつた。気の小さいひとだから、自殺でもしやしないだらうか、そんなことも考へる。だが、ひよいとしたら藁店の家へ帰つて平気で寝てゐるんぢやないだらうかと、なか子は嘉吉の不甲斐なさよりも、自分のおちぶれを身に浸みて感じるのであつた。いつそ、こんな佗しい思ひをするのならば、まだ藁店の店を何とか食ひつないでゐる方がよかつたとも思ふのであつたが、ミツマメホールまで経営して客を惹いてゐる小山洋品店や、あの辺一帯の大小の洋品店のことを思ふと、みんな、みんな、自分の店のやうに、はあはああえいでゐるやうな気
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