こんな小さな店なんか、こゝ二三千円がとこ、誰かがくれたつてどうにもたつてゆきやアしませんよね」
「そりやアさうさ。かう、百貨店がによきによき出来たり、少しばかりたつぷりした資本でもつて、マアケツトみたいなものをやられたンぢや、誰だつて、こんな陰気な店なんかふりむいちやくれないよ――時世が変はつてしまつたのだし、こゝ二三千円、誰かくれたとした処で、俺はこんな商売はもう止めだ」
「ぢや、何をするの?」
「何をするつて、先きだつものは金だよ、何をするにしたつて、何とか資本がなくちや、どうにも仕様がないさ‥‥」
「ねえ」
「うん‥‥」
「いつたい、雑作だのがらくたを仕末してどの位出来る?」
「雑作なんて、家主に家賃のかた[#「かた」に傍点]だぜ、がらくた売つた処が二束三文で、せいぜい一晩泊りで、近かくの温泉へ行ける位のもんだらう‥‥」
「温泉か、温泉もいゝわね。桜もそろそろ咲きかけてるのに、厭ね、私たち‥‥」
なか子は五六年前、観桜会とかで足が痺れる程、一日立ちづめで働いた料理屋の生活を思ひ出してゐた。嘉吉は嘉吉で戸外の寒いやうな風の音をきくと、酒でものみたいやうな気持ちになるのであつた。
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