ない絣でも、随分洗いが利いて丈夫だったものです。――私は、どうもセルを好きません。何だか小柄でむくむくしていますせいか、セルを着るかわりに、袷から単衣にすぐ変りますが、いまでもセルがわりに紺絣を着ております。セルでも、昔は柔かい薄地のカシミヤと云うのがありましたが、あれは着心地がよかったものです。でも、カシミヤは大変高価だったので、清貧楽愁の私の家では、私に紺絣ばかりを着せてくれました。
男のひとでも、この頃は段々洋服がふえましたせいか、染のいい絣を着ているひとを見なくなりましたが、日本の青年には紺絣は一つの青春美だとさえ思います。私たち娘の頃、紺絣を着た青年はあこがれの的であった位です。これ位、また、青年によく似合う着物は他にないのですから、絣屋さんの宣伝をするわけではありませんが、もっと紺絣を着て貰いたいものだと思います。洗いざらした紺絣は人間をりり[#「りり」に傍点]しくみせます。
この頃は人絹《じんけん》が大変進歩して来て、下手なメリンスを買うより安いと云うのですから、田舎出《いなかで》の娘さんたちは、猫も杓子《しゃくし》もキンシャまがいで押しているようです。人絹もいいには
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