をして、帯を高く締めて、腰の線まるだしのお尻の辺へ、大きなチュウリップの模様なぞつけた女のひとを沢山みますが、私はきらいです。利口な女のひとは帯をひくくしめて下さいと云いたい。娘さんだって帯はゆったりとひくく締めている方がたっぷりして美しくみえます。
それから、もうひとつ女の洋装のこと、洋服を註文するひともされるひとも気がついているのかいないのか、どうなのかなと考える事は、娘の躯《からだ》も年増《としま》の躯もごっちゃ[#「ごっちゃ」に傍点]だと云うことです。
巴里《パリ》から帰りました時、一番おかしかったのは女学生がセーラアのスカートをかかとの辺まで長くして、腰の下ですぼんだ年増のスカートをはいていたことです。女学生はやっぱり大根足のニュウと出た短かいスカートの方が神聖で愛らしくていいと思います。十八、九歳頃までは少女型のあどけないデザインの服をすすめたく思います。それと反対に、いい年増《としま》が女学生のようなサキュウラの短かいスカートをひらひらしていらしっしゃるのをいまでも見かけますが、年増の方は腰の線の出た長い服を召して下さいと云いたいのです。お化粧のことも、娘さんはなるべく清楚《せいそ》にと思います。映画の真似なのか、剃《そ》った眉《まゆ》の上に眉を描いていて、四本の眉を持った女のひとに時々会いますがぞっ[#「ぞっ」に傍点]としてしまいます。アイシァドウも、よき家庭の娘はつけません。美容師の方たちにおこられそうだけれど、日本の西洋流の化粧は田舎っぺだと思います。(と云って、お前はどうかと云われたら、私は大田舎っぺだと逃げておきます。ただしその田舎っぺは西洋流でないだけです)
利口な女のひとの何気ない化粧と何気ない趣味の着物にあうと、浸《し》み透るものを感じます。何も高価なものばかりが高い趣味ではないのですから、もっと、若い女の方たちが個性のある好みを持ってほしいと思います。さてまた、絣の話になりますが、染のいい絣を着るひとが沢山にならないものでしょうか。さつま絣、久留米《くるめ》絣なぞは勿論《もちろん》しっかりしたものでしょうが、かえって、場違いの土地でいい絣をつくっている所を田舎へ旅してみかけることがあります。紺絣の外《ほか》に好きなのは鹿児島の泥染《どろぞめ》の大島です。洗うほどきれいです。私はかっこう[#「かっこう」に傍点]があまりよくないので
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