噛りながら話してゐる二人の青年がゐました。ひどく孤獨さうな樣子でしたが、私は早足で御神火茶屋にかけ上りラクダを頼みました。――こんなところで、ラクダなんぞに乘つたり、驢馬に乘つたりするのは嫌らひなのですが暮れかけてゐるので仕方なくラクダへ乘る。四人乘れるのですが、外輪山をつゝきつて一人が五拾錢です。ところで、此外輪山は風が強いので、外套がまるで吹きちぎられるやうでした。
 ――三原山の火口の話なのですが、あの山も、今では隨分底の方まで冷えて行つてゐると云ふ事です。飛び込んだとしても、途中の岩にミヂンとなつて死んでしまへれば兎に角、どこかの岩底に飛び降りて、死ねもしないで、ウロウロしてゐなければならないとなると、一寸考へただけでも悲慘でせう。息苦しくない程度の空氣が、隨分火口の底の方まであると云ふ事を何かの本でみましたが、途中の岩角なんかに、上に登る事も出來ず、只、餓死を待つばかりの自殺者が、ウロウロしてゐる姿を空想してみて下さい、心の中まで冷たくなる氣持です。燒けもしないで白骨になりかけたのなぞもあつたらなぞ、偶《ふ》とそんな事を考へると、私は山を振り返へつてみる勇氣もありませんでした。

    二信

 夜の元村は只波の音だけの靜けさで、これだけは大變いゝ。まだ村の百姓家では洋燈《ランプ》に灯を入れてゐるところなぞもありました。
 港近くには、小さな寫眞屋や、呉服屋や、床屋なぞがあつて、昔の東京場末のやうな感じもします。
 明日は亦雨なのでせう。風が水氣をふくんで障子に當ります。靴で山を走るやうに下つて來たので、まるで脚が棒のやうでした。

 朝。
 ざんざ降りです。これでは何としても動きやうがないので、障子を開けてみるのですが、犬小屋があるきり、椿も山櫻も咲きゝつてゐるのでせうが、座敷からは、庭の土が見えるだけなので箱火鉢のそばに地圖を擴げて東へ一里二十丁程ある岡田村へ行く計畫をたてゝみました。雨が小降りになるまでと、二階の方達と五目並べなぞしてゐると、丁度|徒爾《たいくつ》で困つてゐる三人連れの中年の御婦人があつたので、その三人の女の方を誘つて、岡田村まで大きな箱自動車で出掛けました。
 三人共銀行家の奧さんとかで中年の方達だけにひどくくだけてしまつて、岡田村のつかのもと[#「つかのもと」に傍点]と云ふ終點に着いた時、ざんざ降りの雨の中を此三人の女のひとたち
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