ふものを始めて見たのですが、どんな山陰にも、點々と椿の花が盛りで鶯なぞがしきりに啼いてゐます。途中、私は足弱なので、連れの方達に別れて、見晴し茶屋からひとりで驢馬に乘る事にした。
「此驢馬はどこから來たんですか」
たづな[#「たづな」に傍点]を引つぱつてくれる島の娘《アンコ》さんに訊くと、「遠いモウコと云ふ國から來たんだが、日に二囘も三囘も行くで可哀想には可哀想だ」と云ひます。私の後からは、姉弟らしい十七八の娘さんと、十四五の少年が驢馬に乘つてトコトコ登つて來てゐました。後から來る驢馬の鈴がカラカラと鳴ると、私の驢馬も元氣づいて、トコトコ山を登つてくれる。何だか、此小さなモウコから來た驢馬が可哀さうでなりませんでした。
元村から御神火までは三十一丁位だとありましたが、本當は煙の噴いてゐるところまでは一里位はありませう。三原山外輪山の瓦色の黒ずんだ沙漠に出ると、横なぐりの大風で、遠くを歩いてゐるラクダのたてがみが、火の粉のやうに見えて寒く、一望の墨黒色の沙漠を見ただけでも體が固く冷えてしまひそうです。風が強くあんまり寒いので、驢馬のたづなを引く娘に、「唄でもうたつて聞かして下さいな」と云へば、鼻をあかくして大きい聲を張りあげて歌つてくれました。
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お江戸離れて南へ三十里
潮の花咲く椿島
野増村から戀人《こびと》の手紙
ゆかぢやなるまい一とまづは
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歌ひ終ると、「聲が惡るいからね」とけんそん[#「けんそん」に傍点]してゐましたが、澄んだ素朴な聲でした。驢馬を降りて、内輪山への壁をよぢのぼり、紅殼土の針のやうにヂクザクした丘の上へ出ると、四五人の東京の娘らしいのが、遠くの火口をめがけて石を投げてゐました。私は麓の見晴し茶屋で買つた杖をついて、釘のやうに突き出た岩の上を一足一足ふみしめながら、煙が屏風のやうな火口へ行つてみました。
地の中から吐き出る煙を見て、何だか此まゝ心の變つて行くやうな氣持ちにでもなれば、今の私に大變幸福なのですが、飛び込みたい氣持ちもおこらず、かへつて、こんなところで死ねる人達を不思議に考へる位でした。樹も草も水もない、ロマンチックに云へば、只、雲だけが流れてゐる。ガラガラ土の間から、モクモクと煙が出てゐるきり、全く死にたいとは思ひませぬ。「おゝ厭な事だ」あとがへりすると、暗くなつた崖の下で、林檎を
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