な音をたてて蕎麦をすすり始めた。それが、説明もつかないほど私にはすがすがしかった。私は鍋焼を食べ終ると、金を払いながら、「この前を通っているバスはどこへ行ってますか」と尋ねた。「玉《たま》の井《い》まで通ってます」と、若い衆が灯火をつけながら教えてくれた。「浅草の方へ行ってますか?」ともう一度尋ねると雷門《かみなりもん》の前で止まると云うことであった。私は「御馳走様《ごちそうさま》」と云って戸外へ出て、明るいうちにと慾《よく》ばって、また、その辺をぐるぐると歩いてみた。宇野浩二《うのこうじ》さんの家の前へ出る。宇野浩二さんとは此様なお住居《すまい》にいられるのかと、私は少時立って眺めた。どうした事か表札がさかさまになっている。二階の窓にはすだれ[#「すだれ」に傍点]がさがっていた。塀の中により添ったような造りで、大きく繁った八ツ手があった。隣りは何をする家なのか、ビール箱のような木箱が、宇野さんの石塀の方まではみ出て、自転車が二台路上へ置いてあった。
 宇野さんの通りをT字型につきあたった処に蔦《つた》の這った碁会所《ごかいじょ》のような面白い家があって、貸家札がさげてあるのが眼にはい
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