ちはびっくりして見ていた。文字焼きで、あはあは笑ったりして、早く寝てしまったが、その翌《あく》る日、私の憂鬱は再びかえって来た。豊島薫さんが亡くなったと云う郵便が来たり、厭な手紙ばかりだった。豊島さんへは二、三日前花束を持って行ったが、あの花束は亡くなられた豊島さんの枕元でまだ咲いているだろう。私は風呂をわかして二度も三度も這入った。落ちつかないと、私には風呂にはいりたがるくせがある。「豊島さんへ行ったの何時《いつ》だったかしら?」と年寄りに訊くと、十八日だと教えてくれた。都の上山君が、あやふやな番地を教えてくれたために、半日、阿佐ヶ谷《あさがや》の町を、家にいる小さい書生さんと歩きまわった。家がみつかった時には、へとへとになって、私は上山君にかんかんになって怒っていた。怒っていたから、豊島さんのお家にはよう這入らず、書生さんに花と手紙を持たせて私は戸口に立っていた。だから、生前の豊島さんには長いことお眼にかからず仕舞い。こんなに早くお亡くなりになるとも思わないし、お眼にかかってお見舞いしておけばよかったと悔いでいっぱいだった。
 豊島さんも御家族が多いので心残りだったろうと思う。生前
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