してゐた。
「どうした?」
「どうもしない……」
「どうもしない? だつて泣いてるぢやないか……」
「どうもしなくつたつて涙の出たくなる時あるわよ……」

       ○

 夕飯は、何時かくみ子と行つた割烹旅館で食べた。汚れた池もこはしてしまつて、縁側の下へきれいな流れが引きこんであり、擴げられた庭には噴水があがつてゐた。階下の凉しい部屋だつた。三人とも浴衣に細帶姿の遠慮のない恰好で食卓についてゐた。
「ツヤは泳げるのかい?」
 母が訊いた。
「いいえ……」
 ツヤが赧くなつてゐる。男に向つては豹の如く、女に向つては猫の如しのツヤの轉心ぶりに、周次は内心驚き呆れながら、女の種類も色々あるものだと思つた。
 女心は羽毛のやうだと云ふけれど、くみ子が結婚まぎはに、八田へ嫁いでいつたのも、このいまのツヤの轉心に、何か一脈通じたものがあるやうに思へた。
「苦しいか」と云へば、無造作に、「うん」と應《こた》へたツヤが、母の前では、顏を赧めてはにかんでゐる。周次にはそれが一種の魅力でもあつた。
「多摩川つて夜がいいんでございませうね。あら螢が……」
 縁側へ大きな螢がすつと飛んで來て、簾《すだ
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