んやど》にでも連れて行こうと思う。あったかいシュウマイを風呂敷に包んで母の下腹に抱かせる。しんしんと寒いので、私は木切れを探しては燃やす。涙の出るほどけぶい時もある。駅の待合所にいるつもりになれば何でもないのだ。寝ているひとは死人のように動かない。全身で起きていて、あのひとも辛いのに違いないと思う。辛いからなおさら動けないのだ。

(十二月×日)
 夕焼のような赤い夜明け。炭がないので、私は下の鯉屋の庭さきから、木切れを盗んで来る。七輪にやかんをかけて湯をわかす。机のそばのネーブルを一つ取って来て、母へミカン汁をしぼってそれに熱い湯をさして飲ませる。
 さて、私もいよいよ昇天しなければならぬ。駅の近くの荒物屋へ行って、米を一升買う。雨戸がまだ一枚しか開いていない。暗い土間にはいって行くと、台所の方で賑やかな子供達のさわぐ声がして、味噌汁の香りが匂う。人々のだんらん[#「だんらん」に傍点]とはかくも温く愉しそうなものかと羨ましい気持ちなり。男の為にバットを二箱買う。福神漬を五十匁買う。
 帰ってみると、母は朝陽の射している濡れ縁のところで手鏡をたてて小さい丸髷《まるまげ》をなでつけていた。男は、べっとりと油ぎった顔色の悪さで、口を開けて眠っている。

        *

(一月×日)
 侮辱拷問も……何もかも。黙って笑っている私の顔。顔は笑っている。つまんで捨てるような、ごみくその、万事がうすのろの私だけれども、心のなかでは鬼のような事を考えている。あのひとを殺してしまいたいと云う事を考えている。私の小さい名誉なぞもう、ここまでにいたれば恢復《かいふく》の余地なしだ。
 奇怪な悶絶《もんぜつ》しそうな生きかた! そして一文の金もないのだ。
 獰猛《どうもう》な、とどろくような思いが胸のなかに渦巻く。今夜の雪のように。雪よ降れッ。降りつもって、この街をうめつくして、ちっそくするほど降りつもるがいい。今夜も、この雪の夜も、どこかで子供を産んでいる女がいるに違いない。
 雪と云うものはいやらしいものだ。そして、しみじみと悲しいものだ。泥んこの穴蔵のなかの道につらなる木賃宿の屋根の上にも雪が降っている。荒《す》さんで眼のたまをぐりぐりぐりぐりと鳴らしてみたい凄《すご》んだ気持ちだ。
 只、男のそばから逃げ出したと云う事だけがかっさい拍手。いったい、神様、私にどうしろとあなたは云うのよ。死ねばいいの? 生きてどうしようもない風に追いこむなんてつれないではございませんか! 追込み部屋の暗い六畳の部屋。まず、ごみ箱のような匂いがする。がいこつのようなよぼよぼの爺さんが一人と、四人の女。私だけが肩あげをして若い。只、若いと云うのは名ばかり。女の値打ちなぞ一向にありませんとね……。一升ばかり飲んで酔っぱらって、雪の街を裸で歩いてみたいものだ……。ええ飲まして下さるなら、一升でも二升でも飲んでみせます。
 私は、じいっと台の上の豆らんぷを頼りに、自分の詩を読んでみる。
 みんな本当の、はらわたをつかみ出しそうな事を書いているのに一銭にもならない。どんな事を書けば金になるのだッ。もう、殴る事なンかしない優しい男はいないのだろうか? 下手くそな字で、何がどうしたとか書いたところで、誰もああそうなのと云ってくれる者は一人もない。
 鯖《さば》のくさったのを食べてげろ[#「げろ」に傍点]を吐いたようなもンだ……。おっかさんは私に抱きついてすやすやおやすみだ。時々、雪風が硝子戸に叩きつけている。シナそば屋のチャルメラの音色がかすかにしている。ものを書いてみようなぞとは不思議せんばん。お前のようなうすのろに何が出来るのだ。
 明日は場末のカフエーにでも住み込んで、まずたらふくおまんまを食べなければならぬ。まず食べる事。それから、いくばくかの金をつくる事。拷問! 拷問! 私にもそれ位の生きる権利はあろう……。
 みんなしたり顔で生きている。
 お爺さんが起きて、煙管で煙草を吸いはじめた。寒くておちおち眠っていられないとこぼしている。問わずがたりのお爺さんの話。二日ほど前までは四谷の喜よしと云う寄席の下足番をしていたのだそうだ。心がけが悪くて子供は一人もない由なり。時には養老院にはいる事も考えるけれど、何と云ってもしゃば[#「しゃば」に傍点]の愉しみはこたえられぬ。一日や二日は食わいでも、しゃばの苦労は愉しみだと爺さんが面白い事を云う。もう六十五歳だそうだ。私の半生はあんけんさつ[#「あんけんさつ」に傍点]続きで、芽の出ないずくめだと笑っていた。あんけんさつとは何なのか判らん。卑劣な生きかたとは違うらしい。さしずめ、私達はさんりんぼう[#「さんりんぼう」に傍点]の続きをやっていると云うものだろう。毎日、心の中で助けてくれッ、助けてようと唄のように唸《うな》ってばかりいる。電気ブランを飲んでるような唸りかたなり。
「お爺さん、玉の井って知ってる?」
「ああ知ってるよ」
「前借さしてくれるかしら?」
「ああ、それゃアさしてくれるねえ」
「私のようなものにもさしてくれるかしら?」
「ああ、さしてくれるとも……お前さん行く気かい?」
「行ってもいいと思ってるのよ。死ぬよりはましだもン」
 爺さんは両手で禿《は》げた頭を抱えこむようにさすりながら黙っていた。

(一月×日)
 からりとした上天気。眼もくらむような光った雪景色。四十年配のいちょうがえしの女が、寝床に坐ってバットを美味《おい》しそうに吸っている。敷布もない木綿の敷蒲団が垢光《あかびかり》に光っている。新聞紙を張った壁。飴色《あめいろ》の坊主畳。天井はしみだらけ。樋《とい》を流れる雪解け。じいっと耳を澄ましていると、ととん、とんとん、ととんと初午《はつうま》のたいこ[#「たいこ」に傍点]のような雪解けの音がしている。皆は起き出してそれぞれ旅人の身づくろい。私は窓を開けて屋根の雪をつかんで顔を洗った。レートクリームをつけて、水紅を頬へ日の丸のようになすりつける。髪にはさか毛をたてて、まるでまんじゅうのような耳かくしにゆう。耳がかゆくて気持ちが悪い。
 烏《からす》が啼《な》いている。省線がごうごうと響いている。朝の旭町《あさひまち》はまるでどろんこのびちゃびちゃな街だ。それでも、みんな生きていて、旅立ちを考えている貧しい街。
 私のそばに寝た三十年配の女は、銀の時計を持っている。昔はいい暮しをしていたと昨夜も何度か話していたけれど、紫のべっちん足袋は泥だらけだ。
 役にもたたぬ風呂敷包みを私達は三つも持っている。別にどうと云うあてもなく、多摩川を逃げ出して来て、この木賃宿だけが楽天地のパレルモなり。
 洋々たり万里の輝《ひか》りだ。曖昧《あいまい》なものは何一つない。只、雪解けの泥々道を行く気持ちが心に重たい。痩《や》せた十字架の電信柱が陽に光っている。堕落するには都合のいい道づればかりだ。裸の生活はあきあきした。華族さんの自動車にでもぶちあたって、おお近うよれと云うようなしぎ[#「しぎ」に傍点]には到らぬものか。若いと云う事は淋しい事だ。若いと云う事は大した事でもないのだもの……。私の手はまんじゅうのようにふくれあがっている。短い指のつけ根にえくぼがある。女学校のころ、ディンプル・ハンドだと先生に云われた。笑った手。私の手は今だに笑っている。
 山出しの女中さんよろしくの姿では誰も相手にしようがあるまい。玉の井で前借もむつかしいに違いあるまい。
 まず、おっかさんを宿へ残して、角筈《つのはず》を振り出しに朝の泥んこ道を、カフエーからカフエーへ歩いてみる。朝のカフエーの裏口は汚なくて哀しくなってしまう。勇気を出せ、勇気を出せと唸ってみたところでどうしようもない。金の星と云う店に勤める事にする。金の星とは名ばかり、地獄の星とでも云いたいような貧弱な店。まず、ここから花火をどおんと打ちあげる事につかまつる。お女郎屋が軒なみなので、客は相当ある由なり。台所で女の子が、私に塩せんべいを一枚くれた。ふっと涙があふれそうになる。ほてい屋で、十五銭の足袋を一足買う。
 宿賃は一人三十五銭。当分は二人七十銭の先払いでこの宿が安住の場所。本郷バアでカキフライと、ホワイトライスを一人前取っておっかさんと私の昼飯とする。
 夕方、金の星に御出勤。女は私を入れて三人。私が一番若い。ネフリュウドフはみつからぬものかと思う。心配なしに表情だけで「ねえ」と云ってみなければならぬとなれば、少々下ぶくれであっても、ひとかどの意地の悪さでチップをかせがねばならぬ。ああ、チップとは何でしょうかね。お乞食さんと少しも変らない。全身全力で「ねえ」と云わなければならぬ商売。ものを書いてたつき[#「たつき」に傍点]となるなぞ、ああ遠い。もう眼がみえませぬと臭い便所の中で舌を出してやる。ものを書くなぞと云う希望なぞはない。何も出来っこはない。詩を書くなぞとは愚の骨頂だ。ボオドレエルが何だって? ハイネのぶわぶわネクタイは飾りものなのよ。全く、あのひと達は何で食べていたのかしら……。
 ヌウザボン、ブウサベエだ。パルドン、ムッシュウ。ちょいとごめんなさいねと云う言葉だそうですね。
 おかみさんに、羽織をかた[#「かた」に傍点]にして二円借りる。一円五十銭をおっかさんにやって、電車道の富の湯へ行く。大きい鏡にうつったところはまず健康児。少しも大人らしくない、くりくりとした桃色の裸。首から上だけがお釜《かま》をかぶったようないでたち。女給さんがうようよとはいっている。しゃべっている。三助が忙《せ》わしそうに女の肩をぽんぽんと叩いている。滝のあるペンキ絵。白粉《おしろい》や産院の広告が眼につく。何日ぶりで湯にはいったのかとおかしくなる。
 街は雪解けで仄明《ほのあか》るい街のネオンサインが間抜けてみえる。かりの名をまず淀君《よどぎみ》としようか。蝙蝠《こうもり》のお安さんとしようか……。左団次の桐一葉《きりひとは》の舞台が瞼《まぶた》に浮かぶ。ああ東京はいろんな事があったと思う……。辛いことばかりのくせに、辛い事は倖せな事にはみんな他愛なく忘れてしまう。どんどろ大師の弓ともじって、弓子さんと云う名にする。弓は固くてせめてもの慰めだ。はっしとまと[#「まと」に傍点]を射て下さい。
 わけのわからぬ客を相手に、二円の収入あり。まず大慶至極。泥んこ道の夜店の古本屋で、チエホフとトルストイの回想を五十銭で買う。大正十三年三月十八日印刷。ああいつになったら、私もこんな本がつくれるかしら……。
≪誰でも物を書いた時は、始めと終りとを削らなければならないと思いますよ。そこで、我々小説家は、嘘を云い勝ちですからね。そして短かく書かなければいけません。出来るだけ短かく……≫
 チエホフがこんな事を云っている。
 十一時頃客が一寸《ちょっと》途絶える。店の隅っこで本を読んでいると、勝美さんと云う大きい女が、「あんた近眼なのね」と云った。もう一人はお信さん。子供が二人もあって、通いなのだそうだ。勝美さんは色が黒いので、オキシフルを綿につけては顔を拭いている。私は白粉をつけない事にする。顔をいじくる気はもうとうないのだ。勝美さんだけが住み込みでいる。朝、塩せんべいをくれた女の子が、メリンスのちゃんちゃんこを着て店へ出て来た。痩せた病身な子供だ。
 明日は太宗寺にサーカスがあるから一緒に行こうと私に云う。ろくろ首のみせものもあるのだそうだ。
 旭町へ戻ったのが二時。くたくたに疲れる。今夜も同じ顔ぶれ。
 何だか少しも眠れないので、豆ランプを枕もとに置いて読書。

(一月×日)
 まア驚いた。トルストイと云う作家は、伯爵だったンだ。――いわゆるトルストイの無政府主義と呼ばれるものは、主要的にかつ基礎的に、我々スラヴの反国家主義を表現しているものであり、それは真実の国民的特徴であり、往時から我々の肉の中に沁《し》みこみ、漂浪的に散ろうとする我々の慾望でもあります。――ロシヤの歴史の雄なる作家トルストイが、伯爵さまであったとは今日の日まで私は知らなかった。伯爵さまでものたれ死にをす
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