ずねて見えた由にて、早々に引きあげる。ああ、宇野浩二までに行くには前途はるかなりだ。宇野浩二とはいい名前なり。寝て書けると云う事は大したものだと思う。話をするように書くと云う事が問題だ。あのね、私はねと書いてみた所でどうにもなるものではない。
作家の部屋と云うものは、なんとなく凄味《すごみ》があって気味が悪い。歩きながら、女子美術の生徒のむらさきの袴《はかま》の色の方が、ふくいくとしていると考える。小説とはつまらないものかも知れない。人々は活々と歩き、話し、暮している。街を歩いている方が、小説よりも面白い。
夕方、下宿へ戻る。
野村さん、日曜日には遊びにいらっしゃいと云う置手紙あり。がらんとした部屋の中に坐ってみる。落ちつかない。寝ている宇野浩二の真似でもしてみようかと思うけれども、ふとっているので、すぐ、両肘《りょうひじ》がしびれて来るに違いない。夕飯ごろの下宿は賑やかだ。みんな金を払っているから、煮物の匂いも羨《うらや》ましい。
*
(十二月×日)
朝から降り歇《や》まない雪のなかを、子供をおぶった芳ちゃんと出かける。積もるとみせかけて、牡丹雪《ぼたんゆき》は案外なところで消えてゆく。寛永寺坂の途中で、恭次郎さんに逢う。友人のところに泊ったのだと云って、見知らぬ二人連れの男のひとと並んで、寒い逢初の方へ降りて行った。
恭次郎さんはいい男だな。あのひとは嘘を云わない。だけど、私は恭次郎さんの詩は一向に判らない。恭次郎さんを見ると、私はすぐ岡本さんのことを思い出す。私は岡本さんが好きだ。友谷さんの旦那さんだと云うことがめざわりで仕方がない。だけど、男のひとと云うものは、私のような女は一向に眼中にはいれてくれない。
あんまり寒いので、坂の途中の寺の前のたいやき屋で、たいやきを十銭買う。芳ちゃんと歩きながら食べる。のこりの二つを一つずつ分けて、二人ともあったかい奴を八ツ口の間から肌へじかにつけてみる。
「おおあついッ」
芳ちゃんが笑った。私はたいやきを胃のあたりへ置いてみる。きいんと肌が熱くていい気持ちだ。かいろ[#「かいろ」に傍点]を抱いているみたいだ。我慢のならない淋しさが胃のなかにこげつきそうになって来る。雪が降る寛永寺坂。登りつめると、うぐいすだにの駅にかかった陸橋。橋を越して合羽《かっぱ》橋へ出て、頼んでおいた口入《くちいれ》所へ行く。稲毛の旅館の女中と、浅草の牛屋の女中の口が一番私にはむいている。
お芳さんは、子供づれで稲毛へ行くと云うし、私は浅草がいいときめた。何も遠い稲毛の旅館の女中にならなくてもいい筈だと思うのだけれど、お芳さんは、馬鹿に稲毛が気にいっている。子供が小児ぜんそくと云うので、海辺で働いている方が子供の為にいいと云うのだ。子供は私生児で、その父親は代議士なのだそうだけれども、それも本当なのか嘘なのか私には判らない。ぶきりょうなお芳さんに、そんな男があるとも思えなかったし、第一、それが本当ならば、何も稲毛まで行く事もあるまい。
私は三円の手数料を払って損をしたような気がした。保証人がいらないと云うのが何よりの仕合せだ。
浅草の古本屋で、文章|倶楽部《クラブ》の古いのをみつけて買う。黄いろい色頁の広告に、十九歳の天才、島田清次郎著「地上」と云う広告が眼につく。十九歳と云う年頃は天才と云うにはふさわしい年頃かもしれない。――私だって天才位はいつも夢にみているのだけれども、この天才はひもじいと云う事にばかり気をとられて凡才に終りそうだ。
いったい、どこに行ったら平和に飯が食えるのだ。飢えていては何を愛する気にもなれない。第一、こう寒くては何もかもちぢかんでしまう。単衣《ひとえ》の重ね着で、どろどろに汚れているメリンスの羽織と云うていたらくでは、尋常な勤め口もありよう筈がない。
浅草へ行く。公園のなかで、うどんを一杯ずつ食べて、ついでに腹の上で冷くなった、たいやきも出して食べる。うどん屋の天幕の裾から、小雪まじりの冷い風が吹きぬけて来る。二ツの七輪から火の粉がさかんに弾《は》ぜている。熾《さか》んな火勢だ。熱い茶を何杯も貰う。おぶいばんてんをほどいて、お芳さんは子供に乳をふくませ、おしめをあてかえてやっているけれど、ずっくりと濡れたおしめの匂いが何となく不快で仕方がなかった。女だけがびんぼうなくじを引いていると云った姿なり。一生子供なンかほしくないと思う。子供は何度も可愛いくしゃめをしている。
八銭で買った足袋にも穴があいている。私は若いのに、かさかさに乾いている。ずんぐりむっくりだ。今戸焼の狸《たぬき》みたいだ。どうせそんなものよ。ねえ、カンノン様。私はあんたなんか拝む気はないのよ。もっと苛《いじ》めて下さい。御利益と云うものは金持ちに進上して下さい。
うどんのげっぷ[#「げっぷ」に傍点]が出る。いやらしくて仕方がない。うどんに何の哲学があるのよ。天才はカステイラを食べているンでしょう? うどんの人生。そのくせ、私は、高尚だとか、文学だとか、音楽や、絵画と云うものに無関心ではいられない。――ポオルとヴィルジニイなんて、可愛らしい小説じゃあないの――。オブロモフもこの世にはいます。オネーギン様、あらあらかしこだ。いっぺんでいいから私と恋を語るひとはないものかしら……。明日から牛屋の女中だなんて悲しい。牛殺しがいっぱいやって来る。地獄の鍋《なべ》に煮てやる役はさしずめ鬼娘。ああ味気ない人生でございます。
私は女優になりたい。
浅草は人の波、ゆくえも知らぬさすらい人の巷なりけり。
(十二月×日)
駒形《こまがた》のどじょう屋の近く、ホウリネス教会の隣りの隣り、ちもとと云う店。まず家の前を二三度行ったり来たりして様子をうかがってみる。昨夜の塩の山が崩れてみじん。薄陽の射した板塀。他人様の家は怖い。牛と云う文字が、急に眼の中に寄って来て、犇《ひしめ》くと云う文字に見えて来る。ああ私には絶好の機会と云うものがない。私は若い、若いから機会をつかみたいのだ。
ちもとの裏口からはいって行く。台所の若い男がくすりと笑った。逆毛をたてた大きい耳かくしの髪がおかしいのかも知れない。流行と云うものは私には少しも似合わないのだけれども、やっぱり当世の真似はしてみたくなる。
女中部屋からのぞいている顔。猿のように皺《しわ》だらけのお上さんが、可もなし不可もなしと云った顔つきで、「まア、働いてごらん」と至極あっさりしている。
持ちものは風呂敷包み一つ。まず朝食に、丼《どんぶり》いっぱいの御飯にがんもどきの煮つけ一皿。ああ嬉しくて私は膝《ひざ》をつきそうにあわててしまう。
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恋などとはたかのしれたものだ
散る思いまことにたやすく
一椀の飯に崩折れる乞食の愉楽
洟水《はなみず》をすすり心を捨てきる
この飯食うさまの安らかさ
これも我身なり真実の我身よ
哀れすべてを忘れ切る飢えの行
尾を振りて食う今日の飯なり。
無宿者の歩みつく道
一面の広野と化した巷の風
ああ無情の風と歎《なげ》く我身なり。
[#ここで字下げ終わり]
脂の浮いた、どろどろに浸《し》みついた牛肉の匂い。吐気が来そうだ。女中達は全部そろえば八人になるのだそうだけれど、五人が通いで、ここに住み込んでいるのは三人。みなどの顔も大したことではない。耳かくしはおかしいと云うことで、さっそく髪結さんに連れて行って貰う。いちょうがえしに結うのだそうだ。私はまだ桃割れの似合う若さだのに、いちょうがえしでなければならないときいてがっかりしてしまう。
かたねりの白粉も買わなければならない。何しろ、お風呂へ行って、首だけ白くつけると云う不思議さ。一緒に風呂へ行った澄さんと云うのが、御園白粉が一番いいと教えてくれたけれど、もういちょうがえしに結って、金はみんな出してしまったので、白粉は二三日借りる事にする。
夕方から女中部屋は大変なにぎわいなり。
赤ん坊に乳を呑ませている女もいる。みんな二十五六にはなっていそうな女ばかり。私が肩あげをしていると云うので、こそこそと笑いものになる。お芳さんから借りた着物のゆき[#「ゆき」に傍点]が長いので、その説明をしようと思ったけれどめんどう臭くなってやめる。どんぐりの背くらべの身すぎ世すぎでいて、この仲間の意地の悪さに腹が立つ。
朝、私をみてくすりと笑った料理番はヨシツネさんと云った。料理場へ火さげを持って火を取りに行くと、「お前さん、西洋まげより、その髪の方がずっといいよ」と云ってくれた。そして、「ほい、みかん食べな」と云って小さいみかんを二つ投げてくれる。
ヨシツネさんは定九郎《さだくろう》みたいな感じ、与市兵衛《よいちべえ》を殺しそうな凄味のある顔をしている。
二三日は座敷へも出ないで使い奴《やっこ》だ。火を運ぶ。下足も取る。ビールや酒も運ぶ。十二時がかんばん。足がつっぱって来る程、へとへとに疲れてしまう。枯れすすきや、かごの鳥の唄が賑《にぎ》やかだ。ああ、これでは私の行末は牛の犇きと少しも変らない。
一行の詩一つ書く気力も失せそうだ。あんなに飯をたべたいと望みながら……。夕食は、丼いっぱい山盛りの飯に、いかの煮つけ。ありがたやと食べながら、パンのみに生きるに非ずの思いが湧く。
誰も私の存在なぞ気にかけてくれる人もないだけに安楽な生活なり。ヨシツネさんは馬鹿に親切なり。
「お前さん、こんなとこ始めてかい?」
「ええ……」
「亭主はあるのかい?」
「いいえ」
「生れは何処だ?」
「丹波の山の中です」
「ほう、丹波たア何処だい?」
さア、私も知らない。黙って煮込場を出て行く。まず、一カ月がせいぜいと云った勤め場所なり。
夜、女中部屋へ落ちついたのが二時すぎ。私は呆んやりしてしまう。汚れた箱枕をあてがわれて、それに生がわきの手拭をあてて横になる。女達は、寝ながら賑やかに正月のやりくり話をしている。
どの男から何をせしめて、この男から何を工面してもらって、ああ、こんなひとたちにも男のひとがいるのかと妙な気がして来る。お芳さんは今日は子供を連れて稲毛へ行ったかしら……。私はここにいられるだけいて、その上で、多摩川の野村さんのところへお嫁に行こうかと思う。考えてみたところで、あそこよりほかに行く当もない。
(十二月×日)
ヨシツネさんが話があると云う。なんの話かと、ヨシツネさんについて、朝の街を歩く。
泥んこに掘りかえされた駒形の通りから、ぶらぶらと公園の方へ行く。六区の中の旗の行列。立ちんぼうがぶらついているひょうたん池のところまで来ると、ヨシツネさんは、紙に包んだ薄皮まんじゅうを出して三つもくれた。
「お前いくつだ」
「二十歳……」
「ほう、若く見えるなア、俺は十七八かと思った」
私が笑ったので、ヨシツネさんも頭をかいて笑った。筒っぽの厚司《あつし》を着て汚れた下駄をはいているところは大正の定九郎だ。
話があると云って、なかなか話がない。ああそうなのかと思う。まんざら嬉しくなくもないけれど、何となくあんまり好きな人でもない気がして来る。朝のせいか、すきすきと池のまわりは汚れて寒い。ヨシツネさんはうで玉子を四ツ買った。塩が固くくっついているのが一ツ五銭。歯にしみとおるように冷いうで玉子を、池を向いて食べる。枯れた藤棚の下に、ぼろを着た子供が二人でめんこをして遊んでいる。
「俺、いくつ位にみえる?」
背の高いヨシツネさんが、大きい唇に、玉子を頬ばりながら訊《き》いた。
「二十五ぐらい?」
「冗談云っちゃいけないよ。まだ検査前だぜ……」
へえ、そうなのかと吃驚《びっくり》してしまう。男の年は少しも判らない。ああそんなに若いのかと、急に楽々した気持ちで、
「あんた生れは何処?」
と、訊いてみた。
「横浜だよ」
ああ海の見えるところだなと思う。
「どうして、あんな牛屋なンかにいるの?」
「不景気でどこにも一人前の口がないからよ。検査が済んだら、さきの事を考えるつもりだ」
汚ない池の水の上に、放った玉子のから[#「から」に傍点]がきら
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