れど、死ぬのは痛いのよ。首をつるのも、汽車にひかれるのも、水に飛び込むのもみんな痛い。それでも死ぬ事を考えています。
 たった一度でいいから、おかあさんに、四五十円も送れる身分にはなりたいと空想して泣く事もあります。
 いろはと云う牛肉店の女中になろうかと思います。せめて、手紙の中へ、十円札の一枚も入れて送ってあげましょう。
 下宿住いはこりごり。収入の道もないのに、小さいお櫃の御飯がたべたいばっかりに下宿住いをしたら、こういん[#「こういん」に傍点]矢の如し。すぐ月日がたってゆくのには閉口|頓首《とんしゅ》。
 第一、何かものを書こうなぞとは妙なことです。でもね、私は小説と云うものを書いてみたいと思います。島田清次郎と云うひとも、あっと云うような長いものを書いたのだそうです。小説はむつかしいとは思いますけれど、馬がいななくような事を書けばいいのよ。一生懸命息はずませてね。
 おかあさん元気ですか。もう、じき住所はかえます。また、誰かといっしょになろうと思います。仕方がないんですよ。靴がやぶけて水がずくずくとはいって来るような厭な気持ちなのです。小説を書いたところでひょっとしたら大した事ではないかもしれません。いつも、何だって、つっかえされてがっかりすることばかりですからね。一人でいると張合いがないのです。
 自分で正しいと思う判断がまるきりつかない。自信がなくなると、人間はぼろくずのようになってしまう。はっきりと、これが恋だと思うような事をしたこともない。ただ、詩を書いている時だけが夢中の世界。
 下宿住いと云うものは、人間を官吏型にしてしまう。びくびくと四囲をうかがう。大した人間にはなれない。月末には蒲団を干して、田舎から来た為替を取りに行く。たったそれだけで下宿の月日は過ぎて行くのでしょう。私のことじゃないのよ。ここにいる学生達の事なの……。ハイネ型もいなければ、チエホフ型もいない。ただ、自分を見失ってゆくくんれんを受けるだけ。
 童話を書きあげて夜更け銭湯へ行く。

        *

(十月×日)
[#ここから2字下げ]
宵あかり 宵の島々静かに眠る
海の底には魚の群落
ひそやかに語るひめごと
魚のささやき魚のやきもち。
遠いところから落日が見える
地の上は紙一重の夜の前ぶれ
人間は呻《うめ》きながら眠っている
宵の島々 宵あかり
兵隊は故郷をはなれ
学生は故郷へかえる。
人ごとならずとささやきながら
人々は呻きながら生きる
この世に平和があるものか
岩おこしのべとべとの感触だ
人生とは何でしょう……
拷問のつづきなのよ
人間はいじめられどおし。
いつかはこの島々も消えてゆくなり
牛と鶏だけが生きのこって
この二つの動物がまじりあう
羽根のはえた牛
とさかをもった牛
角のはえた鶏
尻尾《しっぽ》のある鶏。
永遠なんぞと云うものがあるものか
永遠は耳のそばを吹く風なり
宵あかり 只島々は浮いている
乳母車のようにゆれている
考古学者もほろびてしまう……。
[#ここで字下げ終わり]

 律法《おきて》なくば罪は死にたるものなり。ああアブラハムもダビデも如何《いか》にも遠い神である。小説とはどんな形で書くのかわからない。只、ひたすら空想するばかりだけでもないのだろう。罪を書く。描く。善は馬鹿々々しいと鼻をかむ。悪徳だけに心をもやす……。月日がたてば忘れられ消えてゆく罪。じっと眼をすえていると、何のまとまりもなく頭が痛くなって来る。私の肉体は、だんだん焼かれる魚のようにこうふん[#「こうふん」に傍点]して来る。誰かと夫婦にならなければ身のおさまりがつかなくなってしまう。
 下宿屋は男の巣でありながら、まことに落書のエデンの園の如く、森々とこの深夜を航海している。
 小説を書きたいと思いながら、何もかも邪魔っけでどうにもならない。雁《かり》が鳴いている。私は本当に詩人なのであろうか? 詩は印刷機械のようにいくつでも書ける。只、むやみに書けると云うだけだ。一文にもならない。活字にもならない。そのくせ、何かをモウレツに書きたい。心がその為《ため》にはじける。毎日火事をかかえて歩いているようなものだ。
 文字を並べて書く。形になっているのかどうかはぎもん[#「ぎもん」に傍点]だ。これが詩と云うものであろうか。――恋草を力車に七車、積みて恋うらく、わが心はも。昔のえらい額田《ぬかだ》なにがしと云う女のひとがうたった歌も出鱈目《でたらめ》なのであろうか……。私はかいこのように熱心に糸を吐く。只、何のぎこうもなく、毎日毎日糸を吐く。胃のなかがからっぽになるまで糸を吐いて死ぬ。
 一文にもならぬ事が、ふしあわせでもなければ、運の悪い者ときめてかかる事もない。希望のない航海のようなものだけれども、どこかに浮島がみえはしないかとあせるだけだ。
 オニイルの鯨取りの戯曲を読んで淋しくなった。
 本を読めば、本がすべてを語ってくれる。人の言葉はとらえどころがないけれども、本の中に書かれた文字は、しっかりと人の心をとらえてはなさない。

[#ここから2字下げ]
もうじき冬が来る
空がそう云った
もうじき冬が来る
山の樹がそう云った。
小雨が走って云いに来た
郵便屋さんがまるい帽子を被った。

夜が云いにきた
もうじき冬が来る
鼠が云いに来た
天井裏で鼠が巣をつくりはじめた。
冬を背負って
人間が田舎から沢山やって来る。
[#ここで字下げ終わり]

 童謡をつくってみた。売れるかどうかは判らない。当にする事は一切やめにして、ただ無茶苦茶に書く。書いてはつっかえされて私はまた書く。山のように書く。海のように書く。私の思いはそれだけだ。そのくせ、頭の中にはつまらぬ事も浮んで来る。
 あのひとも恋しい。このひともなつかしや。ナムアミダブツのおしゃか様。
 首をくくって死ぬる決心がつけばそれでよろしい。その決心の前で、私は小説を一つだけ書きましょう。森田草平の煤煙《ばいえん》のような小説を書いてみたい。
 夜更けて谷中《やなか》の墓地の方へ散歩をする。
 きらめくばかりの星屑の光。なんの目的で歩いているのかはわからないけれども、それでも私は歩く。按摩《あんま》さんが二人、笛を吹いては大きく笑いながら行く。下界は地とすれすれに、もや[#「もや」に傍点]が立ちこめて秋ふけた感じだ。
 石屋の新しい石の白さが馬鹿に軽そうに見える。私は泣いた。行き場がなくて泣いた。石に凭れてみる。いつかは、私も墓石になるときが来る。何時《いつ》かは……。私はお化けになれるものだろうか……。お化けは何も食べる必要がないし、下宿代にせめられる心配もない。肉親に対する感情。恩返しをしなければならないと云うつまらぬ苛責《かしゃく》。みんな煙の如し。
 雨戸の奥で、石屋さんの家族の声がしている。まだ無縁な、誰の墓石になるとも判らない、新しい石に囲まれて、石屋さんは平和に眠っている。朝になれば、また槌《つち》をふるって、コツコツと石を刻んで金に替えるのだ。
 いずれの商売も同じことだ。
 石に腰をかけていると、お尻がしんしんと冷い。わざと孤独に身を沈めたかっこうでいると、涙があとからあとから溢れこぼれる。
 平和に雨戸を閉ざした横町が奥深くつづいている。省線の音がする。匂いのいい花の香がただようている。私はいつもおなかが空いている。少しでも金があれば、私は尾道へかえってみたいのだ。
 私は多摩川にいる野村さんと一緒になろうかと思う。
 どうにも、独りではやりきれないのだ。
 誰も通らない星あかりの昏《くら》い通りを、墓地の方へ歩いてみる。怖《おそ》ろしい事物には、わざと突きすすんでふれてみたいような荒びた気持ちだ。おかしくなければ、私は尻からげになって、四つん這いになって石道を歩きたい位だ。狂人みたいだと云うのは、こんな気持ちをさして云うのであろう……。
 結局はいったい、自分は何を求めているのだろうと考えてみる。金がほしい。ほんのしばらくの落ちつき場所がほしい。
 知らない路地から路地を抜けて歩く。まだ起きて賑やかに話しあっている家もある。ひっそりと眠っている家もある。

(十月×日)
 団子坂の友谷静栄さんの下宿へ行く。「二人」と云う同人雑誌を出す話をする。十円の金の工面も出来ない身分で、雑誌を出す事は不安なのだけれども、友谷さんが何とかしてくれるのに違いない。豊かな暮しむきでいる人の生活は不思議とも何とも云いようがない。
 友谷さんに誘われて、二人で銭湯へ行く。二人の小さい裸体が朝の鏡に写っている。マイヨールの彫刻のような二人の姿が、二匹の猫がたわむれているようだ。何と云う事もなく、私は外国へ行きたくなった。バナナをいっぱい頭にのせたインド人のいる都でもいい。何処《どこ》か遠くへ行きたい。女の船乗りさんにはなれないものかな。外国船のナースみたいな職業と云うものはないかな。
 詩を書いていたところで、一生うだつがあがらないし、第一飢えて干乾《ひぼ》しになるより仕方がない。私が、栗島澄子ほどの美人であるならば、もっと倖《しあわ》せな生き方もあったであろう……。友谷さんもきれいな御婦人だ。このひとには全身に自信がみなぎっている。浅黒い肌ではあるけれども、その肌の色は野性の果物の匂いがしている。私の裸は金太郎そっくり。只、ぶくぶくと肥っている。お尻の大きいのは、下品なしょうこ[#「しょうこ」に傍点]だ。うまいものを食べている訳ではないけれど、よくふとってゆく。ぶくぶくによく肥る。
 友谷さんはかたねりの白粉《おしろい》を首筋につけている。浅黒い肌が雲のように淡く消えてゆく。久しく、白粉をつけた事がないので、私は男の子のように鏡の前に立って体操をしてみる。ふっと、このまま馳《はし》って電車道まで歩いたらおかしいだろうなと思う。
 裸で道中なるものか……何かの唄にあったけれども、誰も好きだと云ってくれなければ、私はその男のひとの前で、裸で泣いてみようかと思う……。
 風呂のかえり、友谷さんと、団子坂の菊そばに寄る。ざるそばの海苔《のり》の香が素敵。空もからりとして好晴なり。庭の大輪の白い菊の花が、そうめんのように、白い紙の首輪の上に開いている。不具者のような大輪の菊の花なり。――湯上りにそばを食べるなぞとは幸福至極。「二人」は五百部ばかりで、十八円位で出来る由なり。八頁で、紙は素晴しくいいのを使ってくれるそうだ。私は銘仙の羽織を質におく事を考える。四五円は貸してくれるに違いない。
 書く。ただそれだけ。捨身で書くのだ。西洋の詩人きどり[#「きどり」に傍点]ではいかものなり。きどり[#「きどり」に傍点]はおあずけ。食べたいときは食べたいと書き、惚《ほ》れている時は、惚れましたと書く。それでよいではございませんか。
 空が美しいとか、皿がきれいだとか、「ああ」と云う感歎詞ばかりでごまかさない事だ。いまに私は本格的なダダイズムの詩を書きましょう。
 帰りの坂道で五十里《いそり》幸太郎さんに遇《あ》う。この涼しいのに尻からげ。セルの着物に角帯。私は下宿にもどる気もしないので、動坂へ出て、千駄木町の方へ歩く。涼やかな往来を楽隊が行く。逢初《あいぞめ》から一高の方へ抜けてみる。帝大の銀杏《いちょう》が金色をしている。燕楽軒の横から曲ってみる。菊富士ホテルと云う所を探す。宇野浩二と云うひとが長らく泊っている由なり。小説家は詩人のようでないから一寸《ちょっと》怖ろしい。鬼のような事を云いだされてはこっちが怖い。そのくせ何となく逢ってみたい気もする。
 小説を寝て書く人だそうだ。病人なのかな。寝て書くと云う事はむつかしい事だ。ホテルはすぐ判った。おっかなびっくりで這入《はい》って行くと、女中さんはきさくに案内してくれる。宇野さんは青っぽい蒲団の中に寝ていた。なるほど寝て書くひとに違いない。スペイン人のようにもみあげの長いひと。小説を書いている人は部屋のなかまで何となく満ちたりた感じだった。「話をするように書けばいいでしょう」と言った。仲々そうはいきませんねと心で私はこたえる。散らかった部屋。誰かがた
前へ 次へ
全54ページ中40ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
林 芙美子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング