た一片のパンを盗んだ男が十九年も牢《ろう》へはいっている事も妙だ。
 たった一片のパンで、十九年の牢獄生活に耐えてゆく、人間も人間。世の中も世の中なりか。
 駄菓子屋へ行って一銭の飴玉《あめだま》を五ツ買って来る。
 鏡を見る。愛らしいのだが、どうにもならぬ。
 急に油をつけて髪をかきつけてみる。十日あまりも髪を結わないので、頭の地肌がのぼせて仕方がない。
 脚がずくずくにふくらんできた。穴があく。麦飯をどっさりたべるといい。どっさり食べると云う事が問題だ。どっさりとね……。
 ナポレオンのような戦術家が生れて、どいつにもこいつにも十年以上の牢獄を与える。人民はまるでそろばん玉みたいだ。不幸な国よ。朝から晩まで食べる事ばかり考えている事も悲しい生き方だ。いったい、私は誰なの? 何なのさ。どうして生きて動いているんだろう。
 うで玉子飛んで来い。
 あんこの鯛焼《たいや》き飛んで来い。
 苺《いちご》のジャムパン飛んで来い。
 蓬莱軒《ほうらいけん》のシナそば飛んで来い。
 ああ、そばやのゆで汁でもただ飲みして来ようか。ユーゴー氏を売る事にきめる。五十銭もむつかしいだろう……。
 良心に必要なだけの満足を汲《く》み取りか、食慾に必要なだけの金を工面して生きてゆくことにも閉口トンシュでございます。
 ナポレオン帝政下の天才について。
 或る薬屋が軍隊のために、ボール紙の靴底を発明し、それを革として売出して四十万リーブルの年金を得たのだそうだ。或る僧侶《そうりょ》が、只、鼻声だと云うために大司教となり、行商人が金貸しの女と結婚して、七八百万の金を産ませた。十九世紀のさなかにある、フランスの修道院は、日に向っている梟《ふくろう》に過ぎないなんて……三度の革命を経てパリーはまた喜劇のむしかえし。
 私は今日はこれから、この偉大なユーゴーの「みぜらぶる」と別れなければならない。
 天才とは……ちっぽけな日本にはございません。気違いがいるだけ。だあれも、天才なんて見たことがない。天才とはぜいたく品みたいなものだ。日本人は狂人ばかりを見馴れて葬ることしか出来ない。
 おいたわしや、気が狂ったと云う陛下も、本当は天才なのかもしれない。くるくるとおちょくごをお巻きになって、眼鏡にして臣下をごらんになったと云う伝説ごとだけれど、哀れな陛下よ。あなたは哀《かな》しいばかりに正直な天才です。
 終日雨なり。飴玉と板昆布《いたこんぶ》で露命をつなぐ。

(五月×日)
 蒼馬を見たりを生田氏より送りかえして貰う。日光にさらす。陽にあたると、紙はすぐくるりと弾《は》ねあがる。
 詩は死に通じると云うところでしょうね。ええ御返事がないところはひきょうみれん……。
「少女」と云う雑誌から三円の稿料を送って来る。半年も前に持ちこんだ原稿が十枚、題は豆を送る駅の駅長さん。一枚三十銭も貰えるなんて、私は世界一のお金持ちになったような気がした。――詩集なぞ誰だってみむきもしない。
 間代二円入れておく。
 おばさんは急に、にこにこしている。手紙が来て判を押すと云う事はお祭のように重大だ。三文判の効用。生きていることもまんざらではない。
 急にせっせと童話を書く。
 みかん箱に新聞紙を張りつけて、風呂敷を鋲《びょう》でとめたの。箱の中にはインクもユーゴー様も土鍋も魚も同居。あいなめ一尾買う。米一升買う。風呂にもはいる。
 豚の王様、紅《あか》い靴、どっちも六枚ずつ。風呂あがりのせいか、安福せっけんの匂いが、肌にぷんぷん匂う。何と云う事もなく、せっけんの匂いをかいでいたら、フランスと云う国へ行ってみたいなと思う。
 日本よりは住み心地のいいところではないかしら……。夢にみるほど恋いこがれてみたところで仕方がない。猫が汽車に乗りたいと思うようなものだ。
 私のペンは不思議なペン。
 私は地図のようなものを書いてみる。まず、朝鮮まで渡って、それから、一日に三里ずつ歩けば、何日目には巴里《パリー》に着くだろう。その間、飲まず食わずではいられないから、私は働きながら行かなければならない。
 一寸《ちょっと》疲れて来る。
 夜、あいなめを焼いて久しぶりに御飯をたべる。涙があふれる。平和な気持ちになった。

(五月×日)
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なまぐさい風が吹く
緑が萌え立つ
夜明のしらしらとした往来が
石油色に光っている
森閑とした五月の朝。

多くの夢が煙立つ
頭蓋骨《ずがいこつ》が笑う
囚人も役人も 恋びとも
地獄の門へは同じ道づれ
みんな苛《いじ》めあうがいい
責めあうがいい
自然が人間の生活をきめてくれるのよ
ねえ そうなんでしょう?
[#ここで字下げ終わり]

 夢の中で、わけもわからぬひとに逢う。宿屋の寝床で白いシーツの上に、頭蓋骨の男が寝ている。私をみるなり手をひっぱる。私はちっとも怖わがらないで、そばへ行って横になった。私は、なまめかしくさえしている。
 眼がさめてから厭《いや》な気持ちだった。
 寝床の中で詩を書く。
 納豆売りのおばさんが通る。あわてて納豆売りのおばさんを二階から呼びとめて、階下へ降りてゆくと、雨あがりのせいか、ぱあっと石油色に道が光っている。まだあまり起きている家もない。雀だけが忙《せ》わしそうに石油色の道におりて遊んでいる。何処からか、鳩も来ている。栗の花が激しく匂う。
 納豆に辛子をそえて貰う。
 私はこのごろ、もう自分の事だけしか考えない。家族のある、あたたかい家庭と云うものは、何万里もさきの事だ。
 こころのなかで、ひそかに、私は神様を憎悪する。こころやすく死んでしまいたいと唇《くち》にするような女がいる。それが私だ。本当に死にたいなんて考えないのだけれど、私はまるで、兎がひとねむりするみたいに、死にたいと云うことをこころやすく云ってみる。それで、何となく気が済むのだ。気が済むと云う事は一番金のかからない愉しみだ。
 死ぬと云えば、すぐ哀しくなってきて、何となくやりきれなくなる。
 何でも出来るような気がしてくる。勇気で頭が風船のようにふくらんで来る。
 昼から万朝報に行く。
 まだ係りのひとが来ていないと云うので、社の前の小さいミルクホールで牛乳を一杯飲む。人力車が行く。自動車が行く。自転車が行く。お昼なので、赤い塗りの箱を山のように肩にかついで、そばやが行く。かあっと照りつける往来を見ていると、肺が歌うなぞと云う詩を持ちあるいている自分が厭になって来た。誰も知らないところで、一人でもがいている必要はない。第一、大した駄作で、いまどき、肺のことなぞ誰も考えているものか……。空気を吸うことなぞどうでもいいのだ。
 ああ、金さえあれば、千頁の詩集を出版してやりたい。友達もない、金もない、只、亀の子のように、のこのこ日向《ひなた》を歩きまわっている。まるで私は乞食のような哀れさだ。だれもめぐんでなんかくれない。洟《はな》もひっかけやしない。ああ、わっと云うような景色のなかからお札は降って来ないかな。千頁の詩集を出してやる! 題は男の骨、もっとむざんな題でもいい。
 名もない女の詩なぞ買ってもらわなくてもいい。いまに千頁の詩集を出版しましょう。まるで仏壇のような金ピカ詩集! でこんでこんに塗りたくって、美しい絵を入れて、もう一つおまけに、詩集用のオルゴオルもつけてね、まず、きれいな音の中から、詩が飛び出して来るやつ……奇想天外詩集と云うものを出したい。どこかに、色気の深い金持ちの紳士はいないものかしら。千貢の詩集を出してくれれば、私は裸になってさかだちをしてみせてもいい。
 私はいつも、新聞社のかえり、悲しくなる。広い沙漠に迷いこんだみたいに頼りどころがないのだ。ぴゅうぴゅうと風の吹くなかを、私一人が歩いているような気がする。
 鬼でもいいから逢いたいものだ。慄《ふる》えてくる。歩きながら泣いている。涙と云うものは妙なものだ。ただの水、なまぬるい水、ぞっこん心がしびれてくる水、人の情のようになぐさめてくれる水、誇張の水、歩きながら泣くのはまことに工合がいい。風がすぐ乾かしてくれる。ハンカチもいらない。袂《たもと》も汚れない。
 鍋町の文房具屋でハトロンの封筒も買って、郵便局で封を書いて、肺は歌うを朝日新聞に送る。何とかなるだろうと云う空想だけの勇気だ。
 泣きながら歩いたので頬がつっぱるような気がする。匂いのいい文学的なクリームと云うやつはないかな。長い事、クリームもおしろいも塗った事がない。
 果物屋は桜んぼうの出さかり、皿に盛って金十銭。
 浅草に行く。
 やたらに食物店ばかりが眼につく。ひょうたん池のところで、茄《う》で玉子を二つ買って食べる。ハムスンの飢えと云う小説を思い出した。昼間からついているイルミネーションと楽隊、色さまざまなのぼりの賑《にぎ》わい。三館共通十銭也で、オペラに、活動に、浪花節《なにわぶし》。ここだけは大入満員のセイキョウだ。
 私は急に役者になりたいと思った。
 白いマントを着たイヴァン・モジュウヒン。なかなかよい男だ。泥絵具で、少々、イヴァン・モジュウヒンはにやけている。活動は久しくみた事がない。
 玉子のげっぷが出る。
 郵便局から出した詩はまだとどかないだろう。取りかえしに行きたくなった。詩を書くと云う事が、人生に何の必要があるのだろう……。早くかたづきそうらえ。何も云う事これなく候。ぽおっといつまでも明るい空。私は夜が好きだ。私は夜のように早く年をとりたい。早く三十になりたい。葬儀屋の女房になって、線香くさい飯を食うようになっているかもしれない。それとも、私は貧乏な外科医の若い学生と同棲《どうせい》して、もう生きたまま解剖してもらってもいい。私はねえ、この世が辛くなってしまったのよ。腹のなかを十文字に割って腸をつかみ出したら、蛆が行列していたって。私はどうせ、どぶのなかから誕生したのです。哀れまれる事はないのよ。何処にでもいる女なのよ。つまみぐいが好きで、悲劇が好きで、きどってる人間がしんからきらいで……だって、きどってる人間だって、女とも寝てるじゃないの。同じような事なんだけど、衣食住が足りれば、第一、品と云うものが必要になる。
 浅草はいいところだ。
 みんなが、何となくのぼせかえっている。躯じゅうでいきいきしている。イルミネーションが段々はっきりして来る。
 誰にでもある共通な、自然なこころの置場なのよ。三角の山盛りで、黄色に塗った五銭のアイスクリン。エエひやっこいアイスクリン! その隣りが壺焼。おでん屋は皿ほどもあるがんもどきをつまみあげている。
 十字の切りかたは知らないけれど、ああ神様と祈りたくなります。
 全心全霊をかたむけてエホバよ。
 プウシュキンは品のいい詩ばかりお書きになっていた。そして、人の魂をとろかすもの。私ときたら鼻もちならぬ。
 みんな自分が可愛いのだ。どなたさまも自分に惚《ほ》れすぎている。人の事はみえない。だから、私が、いくら食べたいと云う詩を書いても駄目なの。疲れてへとへとで、洗濯せっけんもないのよ。
 家へかえりたくない。
 一晩じゅう浅草を歩いていたい。
 鐘撞堂《かねつきどう》の後に、小さい旅館が沢山並んでいる。「あんた貫一さんはないのかい?」一人て呆《ぼ》んやり歩いている私に、旅館の番頭が声をかける。
「十七、八となってるかな?」
 私はおかしくなった。浅草に夜が来た。みんな活々と光る。楽隊は鳴りひびく。風はまことに涼やかで、私のおっぱいが一貫目もあるほど重い。感性の気違い。一目みただけで、この娘、売物と云う表情をしている、安来節《やすきぶし》の看板に凭《もた》れて休む。何とも陽気な只ならぬ気配で、床をふみならす音、口笛を吹きたてる群集。あらえっさっさアのソプラノ合唱。日本の歌は原始的で、肉体的だ。のぼせあがっている。何もかもすべて、すべてがのぼせあがっている。
 鯉のぼりのようなのぼせかただ。たしなみのいいずぼんをはく事がきらいで、下帯一つで歩いている。もともとは原始民族なのだけど、一寸かぶれて火ぶくれをおこして来たのだ。
 かんたんな火ぶく
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