に載っている本野夫人の住所を切り抜いて麻布《あざぶ》のそのお邸へ出掛けて行ってみた。

 折目がついていても浴衣は浴衣なのだ。私は浴衣を着て、空想で胸をいっぱいふくらませて歩いている。
「パンをおつくりになる、あの林さんでいらっしゃいましょうか?」
 女中さんがそんな事を私にきいた。どういたしまして、パンを戴きに上りました林ですと心につぶやきながら、
「一寸《ちょっと》お目にかかりたいと思いまして……」と云ってみる。
「そうですか、今愛国婦人会の方へ行っていらっしゃいますけれど、すぐお帰りですから。」
 女中さんに案内をされて、六角のように突き出た窓ぎわのソファに私は腰をかけて、美しい幽雅な庭に見いっていた。青いカーテンを透かして、風までがすずやかにふくらんではいって来る。
「どう云う御用で……」
 やがてずんぐりした夫人は、蝉《せみ》のように薄い黒羽織を着て応接間にはいって来た。
「あのお先きにお風呂をお召しになりませんか……」
 女中が夫人にたずねている。私は不良少女だと云う事が厭《いや》になってきて、夫が肺病で困っていますから少し不良少年少女をお助けになるおあまりを戴きたいと云っ
前へ 次へ
全531ページ中83ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
林 芙美子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング