行くしぐさである。


 そのころの私はとても元気な子供だった。
 一カ月ばかり勤めていた粟おこし工場の二十三銭也にもさよならをすると、私は父が仕入れて来た、扇子や化粧品を鼠色の風呂敷に背負って、遠賀《おんが》川を渡り隧道を越して、炭坑の社宅や坑夫小屋に行商して歩くようになった。炭坑には、色々な行商人が這入《はい》り込んでいるのだ。
「暑うしてたまらんなア。」この頃私には、こうして親しく言葉をかける相棒が二人ばかりあった。「松ちゃん」これは香月《かつき》から歩いて来る駄菓子屋で、可愛い十五の少女であったが、間もなく、青島《チンタオ》へ芸者に売られて行ってしまった。「ひろちゃん」干物屋の売り子で、十三の少年だけれど、彼の理想は、一人前の坑夫になりたい事だった。酒が呑めて、ツルハシを一寸《ちょっと》高く振りかざせば人が驚くし、町の連鎖劇は無料でみられるし、月の出た遠賀川のほとりを、私はこのひろちゃんたちの話を聞きながら帰ったものだった。――その頃よく均一と云う言葉が流行っていたけれど、私の扇子も均一の十銭で、鯉の絵や、七福神、富士山の絵が描いてある。骨はがんじょう[#「がんじょう」に傍点]
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