どこへ行く当もない。正反対の電車に乗ってしまった私は、寒い上野にしょんぼり自分の影をふんで降りた。狂人じみた口入《くちいれ》屋の高い広告燈が、難破船の信号みたように風にゆれていた。
「お望みは……」
牛太郎《ぎゅうたろう》のような番頭にきかれて、まず私はかたずを呑んで、商品のような求人広告のビラを見上げた。
「辛い事をやるのも一生、楽な事をやるのも一生、姉さん良く考えた方がいいですよ。」
肩掛もしていない、このみすぼらしい女に、番頭は目を細めて値ぶみを始めたのか、ジロジロ私の様子を見ている。下谷《したや》の寿司屋の女中さんの口に紹介をたのむと、一円の手数料を五十銭にまけてもらって公園に行った。今にも雪の降って来そうな空模様なのに、ベンチの浮浪人達は、朗かな鼾声《いびき》をあげて眠っている。西郷さんの銅像も浪人戦争の遺物だ。貴方《あなた》と私は同じ郷里なのですよ。鹿児島が恋しいとはお思いになりませんか。霧島山が、桜島が、城山が、熱いお茶にカルカンの甘味《おい》しい頃ですね。
貴方も私も寒そうだ。
貴方も私も貧乏だ。
昼から工場に出る。生きるは辛し。
(十二月×日)
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