屋で一山十銭のバナナを買って来てたべた。女一人は気楽だとおもうなり。糊《のり》の抜けた三畳づりの木綿の蚊帳の中に、伸び伸びと手足を投げ出してクープリンの「ヤーマ」を読む。したたか者の淫売婦が、自分の好きな男の大学生に、非常な清純な気持ちを見せる。尨大な本だ、頭がつかれる。
「一寸起きてますか?」
 もう十時頃だろうか、隣のシンガーミシンさんが帰って来たらしい。
「ええまだねむれないでいます。」
「一寸! 大変よ!」
「どうしたんです。」
「呑気《のんき》ねッ、階下じゃ、あの男と一緒に蚊帳の中へはいって眠っててよ。」
 シンガーミシン嬢は、まるで自分の恋人でも取られたように、眼をギロギロさせて、私の蚊帳にはいって来た。いつもミシンの唄に明け暮れしている平和な彼女が、私の部屋になんかめったにはいって来ない行儀のいい彼女が、断りもしないで私の蚊帳へそっともぐり込んで来るのだ。そして大きい息をついて、畳にじっと耳をつけている。
「随分人をなめているわね、旦那さんがかえって来たら皆云ってやるから、私よか十も下なくせに、ませてるわね……」
 ガードを省線が、滝のような音をたてて走った。一度も縁づい
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