貧しい正月の事。ああみんなすぎてしまった事だのに、小さな男の後姿を見ていると、同じような夢を見ている錯覚がおこる。
「今日は、どんなにしても話したい気持ちで来たんです。」
松田さんのふところには、剃刀《かみそり》のようなものが見えた。
「誰が悪いんです! 変なまねは止めて下さい。」
こんなところで、こんな好きでもない男に殺される事はたまらないと思った。私は私を捨てて行った島の男の事が、急に思い出されて来ると、こんなアパートの片隅で、私一人が辛い思いをしている事が切なかった。
「何もしません、これは自分に言いきかせるものなのです。死んでもいいつもりで話しに来たのです。」
ああ私はいつも、松田さんの優しい言葉には参ってしまう。
「どうにもならないんじゃありませんか、別れていても、いつ帰ってくるかも知れないひとがあるんですよ。それに私はとても変質者だから、駄目ですよ。お金も借りっぱなしで、とても苦しく思っていますが、四五日すれば何とかしますから……」
松田さんは立ちあがると、狂人のようにあわただしく梯子《はしご》段を降りて帰って行ってしまった。――夜更け、島の男の古い手紙を出して読ん
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