陽のさしそめて来る港町をつっきって汽車は山波《さんば》の磯べづたいに走っている。私の思い出から、たんぽぽの綿毛のように色々なものが海の上に飛んで行った。海の上には別れたひとの大きな姿が虹《にじ》のように浮んでいた。

        *

(六月×日)
 烈々とした太陽が、雲を裂き空を裂き光っている。帯の間にしまった二通の履歴書は、ぐっしょり汗ばんでしまった。暑い。新富河岸《しんとみがし》の橋を曲線《カーヴ》しながら、電車は新富座に突きささりそうに朽ちた木橋を渡って行く。坂本町で降りると、汚い公園が目の前にあった。金でもあれば氷のいっぱいも呑んで行くのだけれど、ああこのジトジトした汗の体臭はけいべつされるに違いない。石突きの長いパラソルの柄に頬をもたせて、公園の汚れたベンチに私は涼風をもとめてすずんでいた。
「オイ! 姉さん、五銭ほど俺にくんないかね……」
 驚いて振り返って見ると、垢《あか》もぶれな手拭を首に巻いた浮浪者が私の後に立っていた。
「五銭? 私二銭しか持たないんですよ、電車切符一枚と、それきり……」
「じゃア二銭おくれよ。」
 三十も過ぎているだろうこのガンジョウな男が、
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