]を入れていたお養父さんはこう言ってくれたりした。尾道《おのみち》の家は、二階が六畳二間、階下は帆布と煙草を売るとしより夫婦が住んでいる。
「随分この家も古いのね。」
「あんたが生れた頃、この家は建ったんですよ。十四五年も前にゃア、まだこの道は海だったが、埋立して海がずっと向うへ行きやんした。」
 明治三十七年生れのこの煤《すす》けた浜辺の家の二階に部屋借りをして、私達親子三人の放浪者は気安さを感じている。
「汽車から見て、この尾道はとても美しかったもんのう。」
 港の町は、魚も野菜もうまいし、二度目の尾道帰りをいつもよろこんでいて、母は東京の私へ手紙をよこしていた。帰ってみると、家は違っていても、何もかもなつかしい。行李《こうり》から本を出すと、昔の私の本箱にはだいぶ恋の字がならんでいる。隣室は大工さん夫婦、お上《かみ》さんはだるま上りの白粉《おしろい》の濃い女だった。今晩、町は、寒施行《かんせぎょう》なので、暗い寒い港町には提灯《ちょうちん》の火があっちこっち飛んでいた。赤飯に油揚げを、大工さんのお上さんは白粉くさい手にいっぱいこんなものを持って来てくれた。
「おばさんは、二三日う
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