のように小さい湯漕《ゆぶね》を囲んで、珍らしい言葉でしゃべっている。旅の銭湯にはいって、元気な顔はしているのだけれど、あの青い壁に押されて寝る今夜の夢を思うと、私はふっと悲しくなってきた。

(七月×日)
 坊さん簪《かんざし》買うと云うた……窓の下を人夫たちが土佐節を唄いながら通って行く。爽かな朝風に、波のように蚊帳が吹き上っていて、まことに楽しみな朝の寝ざめなり。郷愁をおびた土佐節を聞いていると、高松のあの港が恋しくなってきた。私の思い出に何の汚れもない四国の古里よ。やっぱり帰りたいと思う……。ああ御飯炊きになっていたとこで仕様もないではありませんか。
 別れて来た男のバリゾウゴン[#「バリゾウゴン」に傍点]を、私は唄のように天井に投げとばして、せいいっぱい息を吸った。「オーイ、オーイ」と船員達が窓の下で呼びあっている。私は宿のお上さんに頼んで、岡山行きの途中下車の切符を除虫菊の仲買の人に一円で買ってもらうと、私は兵庫から高松行きの船に乗る事にした。
 元気を出して、どんな場合にでも、弱ってしまってはならない。小さな店屋で、瓦煎餅《かわらせんべい》を一箱買うと、私は古ぼけた兵庫の船
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